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第16話 パンとの関係

第16話 パンとの関係

6/12 三国峠の手前では、まさかの積雪

おはようございます。
 それにしても、昨日はクールな一日。大雪湖から十勝三股にかけて、みぞれが降っていました。気温は1度。通行止めになるかと思いました。
 取材のほうは当麻で4件。いずれも「りくらす」上川版の取材・撮影。おもしろい話を伺うことができました。そして、おみやげとしてパンを購入。僕のパンに対する認識の変化について改めて考えているところです。

ようやくわかったおいしさ

僕とパンとの出合いはあまりにも平凡。学校給食で食べたパンというのが最初。たぶん、みんなそんな感じでしょう。
 その次は伊豆屋のパン。かつて自宅近くに工場があって、子供の頃に遊んだ記憶があります。T君とよく遊んだが、いつの間にか疎遠になってしまいました。
 満寿屋のパンを最初に食べたのは、たぶん小学校高学年に入ってからのことではないかと思います。こどもパンをよく食べた……。といっても、誰もこどもパンを知らないんですね。僕の周囲だけで使われていた言葉なのかもしれません。店で確かめてみると「ベビーパン」というのが商品名でした。こどもとベビー。まあ、似たようなものですね。昔から「ベビー」だったのでしょうか?
 僕には朝食にトースト……といった習慣はなく、パンはあくまでもたまに食べることがあるという程度。食欲全開だった高校生の頃は、早弁、学食、定時制のパン、と学校で3食食べていました。そのときのパンもなかなか味わい深かった。おいしいかどうかというのはさほど問題ではない。食欲を満たす、というのが高校時代のパンの役割でした。
 パンがおいしいと思ったのはいつからなのだろう? こどもパンは子供の頃おいしいと思って食べていましたが、高校、大学、社会人になってから、パンの味に関心を持ったことはほぼありませんでした。
 唯一、おいしいと思ったのは東京・西荻窪の事務所近くにあった「どんぐり舎」という喫茶店のピザトースト。でも、これはパンそのものにおいしさを感じたわけではありません。2000年頃までは、パンは菓子パンかトーストで食べるものと思い込んでいました。

2004年、スロウが創刊されると、まわりにはパン好きが多いということに気づきました。「困ったことになったぞ」というのが正直なところ。何しろ、こどもパンとピザトースト以外、おいしいと思ったことがない人間。取材の際、感想を聞かれたらどうしよう……といった可能性の低いシチュエーションについて心配することになりました。
 実際、「スロウなカフェを訪ねて」が始まったあたりから、パン関連の取材が増えていくこととなりました。
 編集者のほうはもともとパン好きですから、これぞ役得といった感じで取材をし、自分用にも購入。一方、僕のほうはというと、パンの形状にはいろいろあるものだな……とビジュアル面に関心を持つことができたという程度。パンでお腹がいっぱいになると、ご飯が食べられなくなる、と心配しながらの取材でした。
 パンについてマイナス思考な話になってすみません。ここからが本題です。
 で、あるとき重大な事実に気づいたのです。
 「日本酒が苦手」という人の中には、日本酒の味に敏感な人がいます。「酒なら何でもいい」というのとは対極のタイプ。同じように、「パンが苦手」という僕は、実はパンの味にけっこう敏感であることがわかってきたのです。
 というのも、パン好きな編集者はどこのパン屋さんを取材しても「おいしい」と言う。自分の好きな味の店を取材するのですから当然。ですが、僕の場合はパンの世界と距離を置いているため、味の守備範囲が狭い。パン職人にとって天敵(?)のような人間なのです。
 パンに対する許容範囲が狭い僕なのに、おそらく誰よりもパン関連の取材に撮影者として同行している。ここがおもしろいところ。そして、自分の中に「これぞパンの醍醐味」というものを発見したのです。ようやくわかってきた。遅ればせながらのパンデビュー。
 と同時に「申し訳ないな」という気持ちも湧いてきました。本当はおいしいパンだったのに、取材時に気づかなかったパンがあったのです。パンの味の記憶とたどっていくうちに、「あのとき食べたパンは実はおいしいものだった」と思い出す。
 僕は味覚に関してのみ、人並み外れた記憶力を持っていますから、よくわかるのです。特にスロウ第13号「噛みしめるパン」で取材したところはおいしかったとわかってきました。取材時にはその味を100%感じ取ることができずにいた。何年かの後、思い出してもう一度味わう。それもアリではないかと思います。視覚体験も味覚体験も、タイムラグがあってよいと僕は考えています。

人は成長とともに味覚も変わっていく。舌の感覚も肉体の衰えと同様、いずれは鈍っていくことになるかもしれません。けれども、味覚体験の積み重ねとともに成長し、わからなかった味がわかるようになっていくのだと思います。
 自分でもパンを作るようになりました。といってもパン焼き器を使うので、まあ、誰が焼いても同じパン。それでも道産小麦、全粒粉を使うと十分おいしいと感じるようになってきました。
 味がわかるようになってきたことに加え、味覚の守備範囲も広がりつつあるようです。
 僕の考えでは、深みと広がり。これが同時に起こると、精神的に豊かになっていく。パンの味の深さがわかってくると同時に、普通のパンの中にもおいしさを感じられるようになる。これが僕の考える豊かさ。特別なパンだけおいしいというのは、精神的豊かさの半分しか手に入れていない状態。あ、これは僕の解釈なので、万人向けではないかもしれません。
 パン以外のものについても、「とことん好き」なものと「何気なく好き」なものの両方が楽しめると、人生は豊かに感じられるのではないかと思います。  

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