
午前7時半SLOW living。9時出発。Googleマップの案内通りに進んだら、不思議な道を通ることになった。以前にも同じようなことがあった。偶然にもかつて取材したことのあるカフェにたどり着いた。ここで昼食。午後2時半、旭川にある目的地に到着。取材ではなく商品の仕入れが目的だが、途中から取材っぽくなっていった。この技術が次世代に継承されていくとよいのだが。次の目的地は札幌。道央道。スピードを出す車ばかり。道東道とはちょっと違う。5時頃、某量販店に到着。イベント用に購入するものがあった。だが、現物はなく、結局取り寄せることになった。6時半、札幌市内の宿にチェックイン。
師と同じものは身につかない
技術がそのまま継承されることはたぶんない。違う人がつくれば、違ったものができあがる。師と同じ技術を身につけようと思っても、同じものが身につくわけではない。それでよいと思いますし、少し違っているからおもしろいのだと僕は考えています。
取材・編集に関していえば、継承という言葉すら当てはまらないでしょう。スロウの編集者の中で師から学んだという経験を持つ人はいるのだろうか? 創刊からしばらくの間、新人は師と一緒に取材するという経験を持つことができました。今も先輩編集者と一緒に取材するという習わしはあるでしょうが、「師」という立場ではないですね。
このため、絶対的と思える「型」を身につけるのは不可能に近い。ただ、型がなければ取材できないのかというと、そういうわけではありません。型を身につけていなくても立派な文章を書く人がいる。ただ、型があると安心できる。そばで写真を撮っているフォトグラファーも安心して撮影に専念できる。
スロウの編集者の場合、それぞれ独特の成長を遂げていて、安心感とは別に各人おもしろい取材スタイルを持っています。それは「型」と呼べるものではありませんが、突き詰めていったならば型になるのかもしれません。できるだけ長く、たくさんの経験を積んでほしいと思っているところです。
一方、文章に関してはどうか? 型にはまった文章におもしろみはありませんから、いかに自由にのびのび書くかが求められているでしょう。ただ、自由とは好き勝手というわけではない。目的に向かって、制約にとらわれずクリエイティブに書いていく。それができる人となかなかできない人とがいる。人によっては、どこか予定調和的な書き方になってしまう人もいるでしょう。僕も写真を撮りながら、予定調和的な撮り方をすることがあります。
自由に撮る、自由に書く。簡単そうでいて、それほど容易ではありません。これは自分の作り出すものに厳しい品質基準を設けているからでもあります。葛藤を乗り越えて自由を勝ち取る。そんな制作姿勢が求められているのではないかと思います。