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偶然とその前後93 劣化を含む「記録」の価値

偶然とその前後93 劣化を含む「記録」の価値

11日ぶりの更新となってしまった。連日、途方もない時間を費やして写真をまとめる作業を行っている。人生の貴重な時間をこれほど使ってよいのだろうか……と思えるほど。だが、自分の時間の使い道を思い起こすと、無駄な時間はまだまだたくさんある。使い道を変えると必要な活動に充てることができるはず。しかし、無駄な時間は本当に無駄なのか? 無駄を排除すると活動の質が低下するではないか……。そんなことをときどき頭に浮かべながら過ごす10日間となった。

「記録」について考える

AI恐るべし。今月はそう感じる場面が何度もあった。解像度の低い写真がこれほど高画質化するとは……。低解像度、それにブレたりボケたりしている写真がかなり救済可能となる。ノイズを取り除くことも簡単にできるようだ。フォトショップでは不可能なことがいとも簡単にできてしまう。チャットGPTにも驚いたが、これにも相当ビックリした。上手に使えば、昭和、あるいはそれ以前の埋もれている写真を復元できるに違いない。
 というより、これは復元とか修復といったレベルのものではないな。モノクロ写真のカラー化する機能も備わっている。肌の色、木の葉は再現できるが着ている服などの色はAIが勝手に考えたものとなる。写真の持つ「記録」という機能から逸脱することになると考えるべきだろう。
 1990年代半ばからのインターネット普及、2020年代からのSNSの台頭。そして近年急速に進んでいるAIの活用。現実とフィクションとの境目はますますぼやけたものとなっていく。AIによる画像処理では高画質化し、ピントが鮮明になるのだが、今起こっているのは現実とフィクションとの間がブレたりボケたりするという危うい現実。これを危ういと捉えるか、素晴らしいと捉えるかは、使用目的やシチュエーションのよって変わる。ともかく、正しい目的に沿って使用することを心がけるしかない。
 フィルム写真の好ましいところは、時間の経過とともに劣化していくことではないかと思っている。写真家は劣化を避けるために手を尽くす。僕も暗室作業では2浴定着、ハイポ除去、調色といった手法を使って変色、退色を避けるよう注意深く仕上げていった。それでも100年、200年経つと劣化は避けられないだろう。
 100年近く前の写真を見ると著しく退色しているものがある。そこに時間の経過を感じる。「劣化」は写真家の意図とは関係なく起こる「時間の記録」と言ってもよさそうだ。
 その一方、AIによってプリント当時の写真の状態に近づけることも、やはり「記録」を残す上では重要だ。僕らは「劣化を含む記録」と「元の状態に近い記録」の2種類を区別して考える必要がある。
 デジタル写真全盛の今は「劣化」を考えずにすむようになった。これはよいことなのか、あるいはつまらないことなのか。近年、フィルムカメラが一部で人気になっているらしい。僕は「時代に逆行してどうする」という気持ちが強いが、劣化を肯定する立場で考えると理解することができる。デジタル写真に「腐らない食べ物」のような不気味さを感じる人が増えているのかもしれない。 

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