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昭和の記憶01 昭和の痕跡

昭和の記憶01 昭和の痕跡

写真集「十勝・帯広 昭和の記憶」を制作すると、改めて「昭和」あるいは「十勝・帯広」について深く考えるようになる。
 といっても、昭和の記憶や記録が十分に残っているわけではない。今朝自宅の書棚、物置を調べてみた。ある程度見つかったのだが、僕の求めていた史料はさほど残っていなかった。引っ越しの際、大部分を処分してしまったためだろう。僕の記憶ではこれまで15回引っ越してきた。そのたびに重要度の低いものが処分され、引っ越し先の容量に合わせて荷物が減ったり増えたりした。
 問題は当時の自分が考える「重要度」である。今の自分が考える重要度とはずいぶん基準が異なる。このため、さほど重要ではないものを何10年も持ち歩き、残しておくべきだったものを捨ててしまった。これは致し方ないことではある。
 今ならデジタルで保存することができる。これは素晴らしいことに違いない。オリジナルを残すことは困難でも、正確に記録を残すことが可能だ。デジタルアーカイブをちゃんとやろうとすると大変ではあるが、これを丹念に行っておくべきだ。
 今朝のちょっとした発見は、学生時代にグループ展メンバー6人でつくった写真集「COMME JE SUIS」の青焼きが出てきたことだった。38年前のこと。今なら「青焼き校正」といってもほとんど通じないだろうな。青焼きは本当に青かった。この青焼きは今の僕の基準でも、残しておくべき重要度の高い史料といってよい。他人にはどうでもよいものではあるが。
 社会人になってからの引っ越し回数はたぶん9回。引っ越すたびに要るものと要らないものに振り分けられる。つまり、この青焼きは9回連続「要るもの」として勝ち残った(?)ことになる。グループ合同の写真集ではあるが、僕にとって最初の作品集であるからだろう。コンテストに入賞した際のカメラ雑誌等は捨ててしまったようだ。
 このほか、驚くほど精緻に記録した高校時代の地学レポートが物置にあった。これは実家から持ち出したもの。引っ越し9回の洗礼は受けていない。今朝開いてみるまですっかりその存在を忘れていた。ただのレポートであるはずなのに、コラムや編集後記のページがあって、雑誌のようなページ構成になっている。この頃からすでに今の道に進むことが定められていたのか? こちらは42年くらい前のもの。この頃の僕は几帳面な性格だったことがうかがえる。
 僕の自分史の中で「昭和」が占めるのは28年間。気づくと、平成+令和の年数のほうが長くなってしまった。それでも、自分の中には昭和がまだまだ残っており、自分の価値観や考え方の土台を形成している。これがときどき判断ミスの要因となったり、思考の妨げとなることがある。
 ただその一方で、昭和の記憶があるからこそ、今起こっている現象の背景を理解できるというメリットもある。歴史を知らなければ今を理解することはできない。昭和を知らなければ、平成も令和もどのような時代なのかわかないまま過ごすことになるだろう。自分はその時代に生まれていなかったとしても、手を尽くして知ろうとすることが大切だ。

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