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昭和の記憶04 フィルム現像

昭和の記憶04 フィルム現像

大半の人には興味のない話だが、学生時代のフィルム現像の記憶を書き記しておきたい。
 高校1年から写真を始め、最初に使ったフィルム現像液はミクロファインだった。さしたる理由はなく、写真部で普通に使われていたし、関口カメラ、昭和堂、浅野カメラといった写真店で気軽に買うことができたからという理由。増感する際にはパンドールを使った。ネオパンSSSをASA800(今ならISOと表記すべきだが)くらいに増感することが多かった。
 高校時代の僕はさまざまなフィルム現像液を試していた。この時代、世界でもっともよく使われていたフィルム現像剤はD76だったと思う。コダックのD76を買うと高いので、ナニワのND76を使うこともあった。ナニワではナロファインPという現像液も使った。既製現像剤では富士、ナニワ、小西六を使うことが多かった。小西六には、コニドールファインとかコニドールスーパーといった現像剤があった。
 あるとき、現像液、定着液の処方集を手に入れた。どのようにして入手したのかは記憶にない。2冊あったと記憶している(ネットで調べてみたが該当の冊子は出てこない)。その中に「シュテックラー氏の2浴式現像液」というものがあった。ネットで検索すると、「シュテックラー式」などの名称で現像液の処方や特徴が載っている。
 この現像液は非常に扱いやすいものだった。異なるフィルムを同じ現像時間で処理することができた。また、ラチチュードが広く、焼きやすいネガに仕上がった。もちろん、市販の現像剤ではないので、上皿天秤で調合することとなる。高校の写真部では単薬を調合するほうが安上がりなので、自分で現像剤を作る人が僕の他にもいた。僕は自宅用に自分で上皿天秤を購入した。
 高校時代はシュテックラー氏の2浴現像が最高だと思っていた。大学に入るとなぜか使う機会が減った。代わりに、D96(これも市販品はない)、またはD76の1:1希釈を使うことが多くなった。
 現像タンクも高校時代のLPLからマスコに変えていた。ちなみに、最初に使った現像タンクはキングのベルト式。フィルム1本用のタンクだったが、ベルトを挟んでフィルム2本を巻くという裏技があった。だが、ベルト式はアマチュアっぽいな……と思って、リールに巻くようになった。
 現像液には何本かの処理能力がある。1回ごと使い捨てにするのは、僕の使った中ではD76の希釈液くらい。現像時間を微妙に調整しながら、1リットルあたり6~8本くらい使ったような記憶がある。現像液がへたってくるのが嫌でD76希釈液を使う頻度が高まった。
 フィルム現像で重要なのは液温と現像時間である。室温が20度前後ならよいのだが、大阪に住んでいた頃は暗室が35度以上になることもあった。現像液は温めるほうが楽だ。液温の管理に苦労した。液温問題だけではない。全般的に、高校の頃のネガのほうが品質が安定している。ずっとシュテックラー氏の2浴式でよかったのかもしれない。
 いろいろ試してみたくなる性格だが、極めつけはPOTAだろう。超軟調現像液。これを複写用のフィルムであるミニコピーと組み合わせると、超高画質が得られる。理論的にはその通り。だが、ラチチュードが極めて狭く、現像ムラが出やすい。フィルムを何10本も無駄にした。というより、相当量の撮影が徒労に終わった。きっと幻の名作が多数存在していたはずだ。
 フィルム現像にやり直しはきかない。なぜそこまでフィルム現像に凝ってしまったのか。その理由はいまもよくわからない。
※写真は1987年頃、帯広柏葉高校。

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