
今年のGWは校正作業に明け暮れた。
4月28日、全体の95%を入稿。その後、写真・キャプションの入れ替え、表まわりの原稿作成、一部の写真の画質調整等を行う。あとはひたすら校正作業。初稿は「校正」の範疇には入らないほど精度の低いものだった。担当デザイナーには申し訳ないことをした。2校と3校を経て、ようやくまとまってきた。8日月曜日が下版日であるため、3校で入れた修正が最後となる。A4・280ページ・上製本・税込11000円の本がもう少しで完成となる。
今年に入ってから、とりわけここ1ヵ月は「昭和の記憶」に集中した。掲載写真は約600点。600個のキャプションを書けばよい。頭の中では「やり続ければいつかは終わる」と軽く構えていた。僕は600個のうち半分の300個書けばよいかな……などとも考えていた。甘かった。
事実関係を調べるのに1時間以上かかる写真もあった。それでも事実が判明すればまだよい。1時間以上かけたのに事実が浮かび上がってこない写真がいくつもあった。
写真としては魅力的。なのに、何の写真なのだかわからない。そのような写真は除外せざるを得なかった。本当に惜しい。
すべてではないが、他の執筆者が書いたキャプションのファクトチェックも行った。すると、微妙に事実関係が異なっていたり、解釈の分かれるものがあった。明らかに違っているのであれば直しやすいが、微妙、または解釈の仕方に幅のあるものは判断に迷う。言葉を慎重に選びながら進めていくことになる。
ひとつのキャプションに執筆者、僕、そして監修者が関わっている。それぞれ自分の知り得た情報(または知識)に基づいて、執筆または修正を行った。雑誌で書くキャプションとはずいぶん勝手が違う。自分が直接見聞きした(または自分で撮影した)事柄ではないためだ。史実を忠実に再現しようとすると、「そうではない可能性」をいかに排除するかが重要となる。今回の「昭和の記憶」の執筆・制作は僕にとって貴重な経験と言えそうだ。
僕の中で、いつの間にか「昭和」が遠く感じられるようになっていた。この事実にも驚いた。帯広で暮らしていた昭和55年以前のことなら思い出せるだろう、と考えていたが、僕の記憶は実に不確かなものだった。昭和は遠い昔になっていた。そして、帯広以外の町村の写真ともなると、まったくと言ってよいほどわからなかった。
僕の机のまわりは市町村史をはじめとする資料で埋まっていった。通常のネット検索では、必要と思われる情報をほとんど見つけることができない。紙の本をこれほど開いたのは何年ぶりだろうか。そして、本には索引が必要だと改めて思った。目次から必要な情報にたどり着くのは大変だった。
今回重宝したのは「国立国会図書館デジタルコレクション」である。昨年、別な理由があって会員登録していた。試しに使ってみると、これが実にいい。キーワードで検索できる。残念なのはデジタル化されている書物が一部に限られていること。全市町村揃っていれば……。それでも今回は相当助かった。検索のコツもつかめるようになり、後半のスピードアップにつながった。
あと1日で僕らの手から離れ、いよいよ印刷・製本を待つだけとなる。