
写真集「十勝・帯広 昭和の記憶」の発行日は5月31日。社内で印刷・製本していれば、どのような仕上がりなのか随時確認できるが、今回はオール外注。31日発売当日に初めて本書と対面することとなる。こういうドキドキ感を味わうのは何年ぶりだろうか。
さて、今日考えてみたいのは「写真の画質」である。昭和の約62年間。純粋に写真の画質だけで比べてみる。高画質な写真が残っているのはいつの頃か。今回集めた写真に限れば、正解は「昭和初期」である。
意外に思われるかもしれないが、写真に詳しい人ならわかるだろう。戦前、一般の人が写真を撮るという機会はほとんどなく、大型カメラが使われることが多かった。このため精密に描写された写真が残っているのだ。もちろん、戦後にも大型カメラはある。だが、高度成長期以降、小型カメラが普及し、あらゆる場所、出来事を記録するようになった。大型カメラは写真館などスタジオでのみ使用されることとなる。このため、高画質な写真は昭和初期。さらに言うと、大正時代の写真に精緻なものが残っているのである。
戦後、もっともよく使われたのは35ミリフィルム。これは別名「ライカ判」と呼ばれた。1913年(大正2年)、ドイツのライカが試作し、1925年に市販された。昭和初期のライカは「家一軒建てられる」と言われるほど高価なもの。ドイツにはライカのライバル「コンタックス」もあった。1950年代、日本のカメラメーカーはライカを目標に小型カメラの技術開発を行っていた。ニコンF(1959年発売)のあたりから日本のカメラが優位に立ったと思われるが、カメラ史には詳しくないので話はここまでにする。
いずれにせよ、35ミリフィルムで撮影した写真は、画質という点で大判や中判のフィルムに劣っている。その分、機動性に優れていて大型カメラでは撮れない写真を数多く残すことができた。写真の価値は画質だけではない。ここがおもしろいところ。僕は学生時代(ポスト高度成長期)に35ミリフィルムで大型カメラに匹敵する画質を得ようと「ミニコピーフィルム+POTA現像液」の組み合わせを試みた。確かに高画質。誰も小型カメラで撮ったとは気づかない。だが、自分でも驚くほど現像しにくいフィルムだった。ASA6という低感度は我慢できても、現像ムラの出やすさには閉口した。これなら大型カメラで撮るべきだという結論に達した。
技術の発展とともに写真の高画質化は進んでいく。だが、一本調子に進むわけではない。高画質の写真が残っているのは意外にも昭和初期。同じ現象は今の時代にも部分的に当てはまる。デジタルカメラの高画質化が極限まで進んでいく中、昔のインスタントカメラが使われたり、フィルムカメラや初期のデジカメに人気が出たりする。あえて、低画質な写真に味わいを感じる人がいるのだ。
これは1960年代、ブレ、ボケ、粗粒子の写真が一世を風靡したのと同じような現象なのか? 僕はできるだけ精緻な描写が好ましいと思っているが、捉え方は人それぞれ。よって、100年前も100年後も、高画質な写真と低画質な写真の両方が生み出され、記録的価値または芸術的価値の高い写真が残されることになるのだろう。
※写真は1978年、帯広駅前