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実録・記念誌制作16 校了・下版とその後

実録・記念誌制作16 校了・下版とその後

実に2ヵ月以上ブログに投稿していなかった。毎日欠かさず投稿するという原則を崩してしまうと、元に戻すのは容易ではない。元通りにではなく、以前よりも意味のある情報・記録を心がけたい。

記録し続ける意味

プロジェクトのスタートから2年にわたった帯広柏葉高校全日制100周年・定時制70周年記念誌がついに下版した。下版とは、校了し、印刷工程にデータを引き渡す段階のこと。完全に我々の手を離れた。もう直すことはできず、あとは完成を待つのみ。この期間は「ホッとひと息つく」か「ドキドキしながら待つ」かのどちらか。両方入り交じった複雑な気持ちになることが多い。自分の著書であれば開き直ることができるが、記念誌の場合は「どこか見落としているのではないか」という不安が常につきまとう。周年記念誌の編纂部長は予想していた通りの重責だった(まだ過去形ではないのだが)。
 今年5月に発行した「十勝・帯広 昭和の記憶」でも感じたことだが、歴史を掘り起こすのは大変な作業である。写真と史料を探すというところで、まず大きな壁に突き当たる。そもそも史料が存在しない。そんな空白の時期があったりする。学校の場合、写真では卒業アルバムが頼りとなる。だが、戦中・戦後の一時期に卒業アルバムが発行されていない年がある。後年、卒業生有志が記念誌を発行した例もあるが、残っている写真は限られている。現存する記録も乏しい。
 わずかではあるが、同窓生から届けられた貴重な資料、証言があり、今回の記念誌に掲載させていただいた。周年記念誌は10年ごとに発行される。今後もこうした資料提供があることに期待したい。
 「歴史を掘り起こす」という言い方をよくするが、確かに感覚としては「掘り起こす」がピッタリのような気がする。ネット検索で都合よく見つかるのではないか……と淡い期待を抱くこともある。だが、学校の歴史ではその確率は限りなくゼロに近い。次に考えるのは学校(柏葉高校の場合は同窓会館である柏友館)の資料室。ここにあらゆる情報が揃っているはず。そう期待して何度も書庫を開いてみるのだが、期待通りの結果は得られない。たまに意外な発見をすることがあるものの、求めている情報を得ることは少ない。
 そうなると、予想通りと言うべきか、二次情報を頼ることになる。過去に発行された周年記念誌、柏葉高新聞、同窓会報、その他出版物である。ひとつの資料に依存するのはリスキーである。また、情報源以上の記事になることはない。したがって、複数の資料を照らし合わせることとなる。そうすると、食い違いを発見することがある。どちらかが間違っている。真偽を明らかにするのは僕らには不可能といってよい。運よく一次情報にたどり着いて真偽がハッキリするケースも稀にはある。それは本当にレアなケースであり、通常は両論を併記することになるだろう。
 歴史を正確に詳細に記録するには自ずと限界がある。そのことを知りながらも、自分たちの手で可能な限り記録を残そうと努力する。そこに記念誌を制作・発行する意義があるのではなかろうか。もし、10年ごとに発行してきた記念誌をどこかで止めてしまったとしたら、歴史に空白が生じることになるだろう。先人たちの偉いところは、戦時中の大変な状況下にあっても記念誌を発行したことである。20周年記念誌は1943年発行。当然軍国主義的な内容ではあったが、それでも学校の記録をしっかり残している。
 今後戦争に匹敵するような大変な出来事が起こるのかどうかはわからないが、「記録」を途切れさせてはいけない。媒体は紙ではなくデジタルになる可能性もある。しかし、物質としての確からしさがある紙媒体としての記念誌は、10年後もつくられることになるのではなかろうか。このあたりは、次回プロジェクトがスタートする2031年頃になってみなければわからない。

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