
おはようございます。
活動的な土曜日となりました。朝一番、くりりんセンターへ。車に満載した実家のゴミを捨てる。ゴミといっても、使えそうなものがずいぶん含まれている。この手の不要品がやたら多い。すべて自力で片づけようと思ったら、くりりんセンターへはあと50回くらい往復する必要があるかもしれません。
昼にはステーションギャラリーへ。長沼透石先生の遺墨展。来場者もすごいが、展示作品がそれ以上にすごい。これほどとは。人のやる気にスイッチを入れるような作品群。
もっと時間を確保すべきだった……。そう思いながら釧路へ。午後3時から釧路・帯広経営研究会の合同例会。斉藤尚央人氏(岡山経営研究会)による4時間セミナー。「経営方針書勉強会 ~発表編~」。圧巻でした。我が社に、そして僕に欠けているものが明らかになったような気がしました。
9時半頃帰宅。そこからちょっとした作業を始めたら、止まらなくなった。気づくと0時半。
もったいないがさらにもったいない事態を招く
ずらずらと昨日の活動内容を書いてしまいました。
昨日の共通項を無理矢理見つける必要はないわけですが、僕は「腹八分」という言葉が頭に浮かびました。満腹になると、自分のすべきことに対して全力で立ち向かうことができない。多くとも腹八分。むしろ、空腹状態で仕事をすべきだ。そう思ったのです。
と同時に、物をためすぎるのは非常によくないことだ、とも感じました。これは僕の弱点でもあります。「捨てられない」という性格。これは親から引き継いだ性質なのかもしれません。広い家に住むのは要注意だ。これから家を建てる人に僕からアドバイスするなら、「収納スペースはほどほどに」ということでしょう。実家には収納場所がありすぎる。全貌を知ったら、みんなびっくりするに違いない。
満腹だと体も頭も働きが鈍くなる。作品の創作意欲も企業の経営意欲も、空腹感に近い状態のときに最大化するのではないか? そんなイメージで作品を鑑賞したり、セミナーを受講していました。その勢いで帰宅したものですから、つい深夜まで作業に没頭することになってしまったのです。
空腹と腹八分。この範囲内であれば、人間の活動も企業の活動も適切なものとなる。自分の味覚に関しても、同じことが当てはまるでしょう。
満腹になると、おいしいものでもおいしいと感じない。これは非常にもったいないこと。
捨てるのはもったいない。そう思って、すでに満腹状態なのに、無理に口へ運ぶということがあります。捨てるのももったいないが、おいしくないと思って食べるのはさらにもったいないこと。どちらの行動を選択するか? 僕は非常に悩みます。
これまでは「食べる」を選択することが多かった。ですが、今後は「残す」を選ぶようにします。
それ以前に、食べ物を残して無駄にするような状況をつくらない。これが一番ですね。自宅で開催する食事会では、食べ残しによる無駄はほぼ皆無。残ったら、「持ち帰る」というシステムになっているからです。
問題は懇親会などの場で出てくる料理。「食べ足りないと顧客不満足につながる」という発想が根底にあるのでしょう。全部食べると満腹になるという分量に設計されていることが多い。僕は律儀に全部食べるという方針で参加してきたため、懇親会が続くと間違いなくカロリーオーバーになる。その結果、本当に自分が食べたいと思っているものが食べられない……という事態に陥る。
これは僕にとっては大問題です。
このようなシチュエーションは、どこかでみんな経験しているのではないでしょうか?
一番ありがちなのは、やらなきゃいけない仕事が目の前にてんこ盛りになっていて、自分の本当にやりたい仕事がまったくできていない、というもの。僕もそうなんです。手をこまねいていると、やりたいことができぬまま、あっという間に数年たってしまいます。
腹八分に収めて、料理をおいしくいただく。目の前に仕事に忙殺されず、本当に意味のある仕事に全力を注ぐ。両者には近いものがありますね。
ただ、「仕事をやらない」という選択はできにくいものですから、料理・食事よりも仕事のほうが若干難しい。
結局、自分の価値を高め続けるより他に道はない。そう考えるべきなのでしょう。自分の能力が高まり、存在価値が高まれば、自分の目の前にやってくる作業的な仕事は格段に減っていくことになるでしょう。「重要な人的資源」として認識されれば、より高度な仕事を頼みたいと周囲は考えるようになる。あるいは、自分の望む仕事を優先的に行うことができるような立場につくことができる。
自分の味覚が研ぎ澄まされてきたならば、本当に食べたいものを本当においしくいただくことができるはず。自分の味覚レベルが低いままであれば、おいしいものを食べてもおいしいと感じず、素材づくりや料理づくりに費やされた熱意、意欲が無駄になってしまう。これは見かけ上の食料廃棄率以上に深刻な問題ではないかと思います。
高度成長期、「ご飯粒ひとつ残してはいけない」と教えられていた頃には、ありきたりな食事であってもおいしいと感じる豊かな感性がありました。今はみんな何かしらの満腹感を感じているため、おいしさを感じにくい体質に変わってきた。仕事に対しても、つまらない仕事と感じる人が増えてきた。
世の中につまらない仕事と楽しい仕事の2種類があるわけではない。仕事をつまらなくするか、楽しくするかは本人次第であるわけです。
自分の中に味覚改革、いえ味覚革命を起こし、目の前にある本物の料理を十分に味わう必要があると思います。同様に、仕事改革を進め、本物の仕事(価値を生み出す仕事)に自分の貴重な人生の時間を使うべきでしょう。
ほとんど自分に向けての文章になりました。
