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第12回 作為なし、悔いなし

第12回 作為なし、悔いなし

おはようございます。
 深夜に帰宅したため、ちょっと遅めの朝です。一週間で4回も新年会があると、ちょっときついですね。月末が近づきてきました。そろそろ新年会シーズンも終盤を迎えます。
 昨日は高校の同窓会でした。北海道ホテルに毎年700名前後集まります。久しぶりに同期が集まる二次会にも参加。こちらは10数名。高校時代から変わらない人もいれば、大きく変わった人もいます。高校時代のことをよく覚えている人もいれば、全然覚えていない人もいる。僕も、実は高校時代の記憶がほとんどないという人間。同窓会に参加することで、少しずつ思い出しているところです。あと20年くらいすると、みんなと同程度の記憶がよみがえってくるでしょう。
 そのとき、「我が青春に悔いなし」と思えるかどうか? 微妙ですね。今はまだ、早弁したあと学食でラーメンを食べ、夕方になると定時制のパンを買って食べた・・・という記憶が残っている程度。たいした「悔い」ではありませんね。しかも、みんなの話とはどうも食い違ってしまいます。
 文章においても、あとになって後悔するようなことがないよう、執筆時に注意しなければなりません。技術的な問題もさることながら、もっと大事なことがあります。
 というわけで、今回のテーマは「作為なし、悔いなし」です。

「今の気持ち」を大切に

辞書を引くと、作為には3つの意味があるようです。
1.人が自分の意志で作り出すこと。
2.事実であるかのように故意に手を加えること。つくりごと。
3.法律で、人の積極的な行為・挙動。
 写真家的文章作成技法では、「2」を問題視しています。事実であるかのように故意に手を加える。こうした文章がたまに見られるのです。
 さすがに、客観的事実を無視して書かれている文章は少ないと思います。ですから完全な「つくりごと」というわけではない。けれども、グレーゾーンの文章が案外多いと僕は感じています。データを自分に都合よく解釈してみたり、自説に合わせて信憑性に劣る統計を持ち出したり・・・。ネット上にはよく見られますね。
 客観的なデータ、文献からの引用、偉人の名言・・・。こうしたものは、自分の文章の信頼度を高めるためにときどき使われるものです。そのこと自体、間違ってはいないし、むしろ積極的に活用すべきでしょう。
 けれども、気をつけねばならないのは「最初から結論ありき」であってはいけないということ。文章を書きながら、次第に違和感がふくらんでくる・・・。そんな気持ちになることがあるものです。結論やゴールを想定しながら書き進めるわけですが、書いているうちに当初の想定とは異なる結論が頭に浮かんでくる・・・。そんなときは、「今の自分の気持ち」に正直になることが大切です。もう一度最初から書き直す。そのくらいの潔さが求められますね。
 作為を捨てる。それはとても勇気のいることではないかと思います。作為的な文章を書く方が楽なのです。
 僕が最初に「作為」について考えるようになったのは、自分が取材を受ける立場になったときでした。新聞記者にも、実は2つのタイプの人がいるようです。
 ひとつは「最初から記事の文章が決まっていて、取材先でコメントを拾うためだけに取材する」という人。もうひとつは「取材先で聞いた話をもとに正確に事実を伝えようとする」人。
 前者の場合、確かにそういう話はしたかもしれないが、真意は異なる・・・という記事になりやすい。それほどひどい記事になることはないのですが、ちょっとニュアンスが違うかな・・・と思うことがあります。
 新聞記者に求められるのは後者のタイプ。ここ数年、こうしたタイプの記者が増えてきたと僕は感じています。とてもよい傾向です。新聞と雑誌は性格の異なるメディアですが、「作為を捨てることが大事」という点では共通しているのではないでしょうか?

これが自分史、エッセイといった文章になると、もうひとつ重要な作為を捨てなければなりません。
 それは自分の心の中にある作為なんですね。ほとんど無意識的に作為が働くことがあるものです。たぶん、僕の中にも少しはある。「人からよく思われたい」とか「賢く見られたい」とか「いい人間だと信じさせたい」といったようなもの。これらが作為的な文章を作らせてしまう。
 そうなると、間違っているわけではないけれど、どうも共感しにくいという文章になってしまいます。読み手は敏感に感じ取るものです。鈍感な人でも瓶と缶の違いくらいは目をつぶってもわかる。ですから、ちょっとした作為的な文章は明らかにわかってしまうものと認識すべきでしょう。
 書き手の基本スタンスは「自分らしくあること」。自分がふだん使わない言葉、頭の中にない言葉を文章内で使用すべきではないと僕は考えています。また、自分を過大評価したり、逆に故意におとしめたりしてはいけない。ありのままの自分であることが大切です。
 自分の頭の中に浮かんでいることや感じていることを、できるだけそのまま言葉に表すこと。それが自然にできれば、魅力的な文章を書くことができるのではないかと思います。
 僕の頭の中には、正しいことも、変なことも、ユニークなことも、くだらないことも、絶えず浮かんでは消えています。無理に「正しいこと」だけを拾い集めようとすると、作為的になっていく。変だったり、くだらない部分も、自分の一部であるわけです。
 思い切って表に出してみると、案外「変→楽しい」、「くだらない→斬新」と気づくことがあります。文章を書くことは、自分の考えを深化させることでもある。読んでもらうことが文章の目的ではありますが、書くこと自体、自分のためでもあるのです。そのためには「作為なし」を貫くべきですね。
 そろそろ、次の章に進むことにします。また明日。

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