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炭酸旅 vol.1 コアップガラナ再考

炭酸旅 vol.1 コアップガラナ再考

おはようございます。
 昨日は不思議なことが起こりました。先週、営業部のK氏から「1/4ページの原稿をお願いします」というメールをもらっていて、それが社内報用であることはわかっていました。なのに、僕はなぜか月刊しゅんの1/4ページ原稿をイラストレーターでつくってしまったんですね。完全データを。そのための商品イメージ撮影までしてしまった……。ここ数日、僕はちょっとおかしい。もしかしたら、おかしいのは「ここ50年」かもしれませんが。
 そんなわけで、おかしいついでに、今日から新シリーズを開始しようと思います。やはり、僕としては炭酸水および炭酸飲料について、自分の考えをまとめてみたいと思っているのです。もしかしたら、炭酸ではなく、惨憺たる文章になるかもしれません。こればかりは書いてみなければわかりませんね。
 第1回目はスロウ11号に掲載したコアップガラナについて、改めて考えてみたいと思います。

ブラジルで見つけた答

僕は炭酸飲料には特別な気持ちを抱いています。乳酸菌飲料にも特別な気持ちを持っていますが、それとはもう少し違った気持ち。この違いをどのように表現したらよいのだろう……。乳酸菌飲料の場合、安心感といいますか、自宅および絶対安心空間で味わうような飲み物なんですね。あくまで、「僕の場合」という注釈付きですが。
 一方、炭酸飲料は「外の世界で味わう飲み物」なのです。もちろん、自宅で飲むこともありました。しかし、圧倒的に外。刺激的であり、世界とつながっている飲み物。それが僕にとっての炭酸飲料なんですね。
 そのことにをなんとなく自覚したのが1960年代の終わり、コアップガラナとの出合いでした。
 ただ、その頃の記憶はほとんどと言ってよいほどなく、もしかしたら、コカコーラを飲んだのが最初だったかもしれません。ペプシではないな。コアップかコカコーラのどちらかでしょう。
 スロウ11号にも書きましたが、コアップガラナは「コーラ日本上陸」という、飲料メーカーにとって黒船襲来にも匹敵する出来事によって開発された飲み物なんですね。1950年代のこと。全国にあった中小飲料メーカーは大変な危機感を覚えたに違いありません。
 これに対し、全国のメーカーは大同団結する。その後とった行動は今から考えても正しいものだったと思います。コーラに対抗できる新たな飲み物を世界中に求めたんですね。その結果、コーラに勝る炭酸飲料を持つ国があった。それがブラジル。圧倒的シェアを獲得していたのは、ガラナ飲料でした。
 世界に目を向ける。これは大切なことですね。自分の頭で解決できない問題があれば、誰かに答えを求める。人に求めたり、書物に求めるわけです。それでもダメな場合、世界に答えを求める。1950年代当時というのに、南米まで行って答えを見つけた……。生き残りをかけた、ギリギリの戦いだったのではないかと想像します。
 そうして誕生したのがコアップガラナ。
 僕はそんな誕生秘話を知らず、ただただおいしく飲んでいました。ガラナもコーラも等しく飲んでいた。コカコーラは当初「薬くさい」と言われていましたが、僕はさほど感じなかった。むしろ、耳のうしろが痛くなるような感覚。この強烈な刺激に惹かれていた。よほど単調な小学校生活を送っていたのでしょう。
 ガラナのほうはどうかというと、僕の印象ではほどよい炭酸の強さ。酸味と甘みのバランスがよく、気持ちを前向きにさせてくれるような飲み物という印象ですね。今飲んでも、そんな感じがします。これはガラナの実の作用なのでしょうか?

2007年、コアップガラナを製造する(株)小原(七飯町)を取材した際、ガラナの実を見せてもらうと同時に、ガラナのベース(原液)を飲ませてもらいました。強烈な酸味。酸味にやたら強い僕だから飲めましたが、普通の人には無理かもしれません。
 ブラジルではガラナは不老長寿の秘薬として珍重されているようです。また、ガラナという名の由来となったブラジル先住民のガラニス族は勇敢な民族として知られている。
 なるほど。巨人、コカコーラに立ち向かう勇敢な飲み物。コアップガラナにはそんな一面もあるのでしょう。

コアップガラナのマークはよく見ると「三本の矢」のように枝が分かれています。これは全国の中小飲料メーカーがコカコーラに立ち向かっていく姿を象徴している……。この話は、同じくコアップガラナを東京で製造しているホッピービバレッジ(株)で聞きました。
 さらにこのとき新事実も判明。なんと、1995年頃までコアップガラナにはリンゴ果汁が入っていたというのです。僕はぜんぜん知りませんでした。その証拠ともいえるのがマークに描かれたリンゴの絵。以前から不思議に思っていたんです。そして、新たな疑問が湧いてきました。右下に見えるのはブドウでしょう? 昔のコアップガラナにはブドウも入っていたのだろうか? 僕は肝心なことを聞き忘れていました。今度、(株)小原を訪ねたら聞いてみようと思います。
 さて、1960年から始まったコアップガラナの挑戦は、どのような展開になったのでしょう? 誰もが知るところですが、全国的にはコカコーラの圧勝。コアップガラナが発売された頃には、コカコーラの流通網が完成し、「薬くさい」と言われながらもシェアを獲得。僕も飲んでいるうちに「スカッとさわやか」になるような気になっていった。
 ただ、唯一、北海道だけはコアップガラナが善戦。これはコカコーラの流通の整備が遅れたためと言われています。しかし、僕にはもっと別な理由があるような気がしてなりません。
 答えを探してブラジルまで渡ったチャレンジ精神。僕はこれを北海道の開拓者精神と重ね合わせて考えてしまうのです。だから、僕は今でも道民炭酸飲料としてコアップガラナを飲んでいます。

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