第15回 一人称の承認

第15回 一人称の承認

おはようございます。
 昨日は釧路で「人材確保セミナー」の講義を行ってきました。3週連続開催。「経営理念で経営者の想いを伝える」が1回目のテーマ。おもしろい切り口ですね。どんなお題をいただいても、たいていの場合は対応可能です。経営理念があるから人材確保できる・・・というものではありませんが、今の時代、経営理念がなければ確保は困難かもしれません。経営者と社員がどのように理念を共有するのか? 講義の後半ではそのあたりに焦点を当てて語りました。
 経営者も社員も自社のことを「自分の会社」だと思っています。または「自分たちの会社」ですね。自分の所有物だとは思っていないはずですが、自分と重ね合わせて考えている。自分の会社だと思っていない社員が多い会社は、「理念が共有されている」とは言い難い。社外の人に対しては「弊社は・・・」などとかしこまった言い方をすることもあるでしょうが、社内では「うちの会社は・・・」という言い方になる。自然にそうなるものです。
 「うちの」を「私の」に置き換えても、まったく差し障りありません。我が社に限って言えば・・・ですが、自社を社員全員の共同所有物だと思ってよい。僕はそう考えています。「自分のもの」という意識があれば、大切に思い、存分に活用しようと考えるようになるのです。
 「私の」という言葉が重要だと思います。
 というわけで、今日は「文章における一人称」について考えていきましょう。

自分を隠すな! 消すな!

写真家的文章作成技法では、主観というものを大切に扱います。主観的になりすぎるのは考えものですが、主観なくして魅力的な文章にはなり得ない。そんな観点から、具体的に文章作成について考えると、ひとつの問題が浮上してきます。
 それが「一人称をどう扱うのか?」という問題。僕にとっては何の問題でもありません。けれども、これを問題だと感じている人が案外多いようです。
 文章の中で「私」とか「僕」という言葉を使ってはいけないのではないか・・・。そう考えてしまっているのです。実際に聞いたことがあります。面接の場だったと思います。ある学生さんが「一人称を使うのは稚拙な文章ではなかろうか?」と語っていたのです。きっと、そのように文章づくりを指導されたのでしょう。
 文章の目的によっては、一人称を出さないほうがよい場合もあります。社会人になると、文章はさまざまな場面で文章を書くことになる。当然、使い分けなければなりません。
 けれども、エントリーシートに書く志望目的とか入社試験での作文といった場で、「一人称を避けてどうするのだ?」と思ってしまいます。堂々と「自分はこう考えている」と主張すべきでしょう。
 これは文章が洗練されているとか、稚拙であるかといった問題ではないのです。「自分が考えていること」「自分が感じていること」を素直にそのまま文章表現することこそ、文章作成において重要なことなのです。

こんなシーンに出合ったことはないでしょうか? 間違いなくその人の私見なのに、「・・・と思われます」「・・・と結論づけられます」という言い方をしてしまう人がいます。話し言葉だけではなく、文章においてもそうした表現をときどき目にします。自分の考えであるという事実を極力薄めて、普遍妥当性を持っているかのように書き表す。これは邪道に近いですね。
 日本語は主張を曖昧にしやすい言語です。何しろ、主語を省略することができる。「私は」を使わなくても、文として成立してしまう・・・。ここにひとつの落とし穴があるのではないかと僕は考えています。日本語の文章にいちいち「私は」が登場すると、うっとうしく感じられるもの。ですから、ある程度省略して構わないのですが、ときどきは使うべきだと思います。誰がそう考えているのか、明らかにするためです。
 自分という存在を安全地帯に置いて、何かを主張しようとするのは人間としてどうなのだろう? そう考えることがあります。メッセージが明確な文章であればあるほど、「私」「僕」という一人称を使うべきでしょう。

僕の場合は、もう50年以上「僕」を使い続けてきました。高校や大学では、男は「俺」を使うのが普通でした(今はどうなのでしょう?)。「俺」には縁がないなぁ・・・。「僕」という言葉が持つ、ちょっとした弱々しさが気になることもあるのですが、それでも使い続けています。社会人33年目ともなると、「僕」を常用している人の中に尊敬すべき人が大勢いることがわかってきました。安心して一生使い続けられそうです。
 「私」もたまに使います。公式な場で使う程度。「今、僕は『私』って言っている!」という違和感がありますね。自分の文章の中で一人称を使い慣れていない人は、最初のうち、このような違和感を覚えるかもしれません。
 文章内で一人称を使うのにためらうことはありません。認証コードも要りません。自然に文章を書いていくと「私」や「僕」がところどころに入るものです。いったん書き上げてから、多すぎると思ったら間引きすればよい。
 「僕は・・・です」という文章を稚拙に感じることがあれば、一人称の場所を変えてみましょう。「・・・だと僕は考えている」といった文章に修正すると、容易に文章のオトナ化が完了します。
 技術的な問題はさておき、この一人称問題は自分の心の問題といえるのではないかと思います。自分が全面に立つという勇気。雑誌記事であれば、ちゃんとスタッフクレジットに自分の名前を明記する。誰が書いたものなのか、誰の考えが述べられているのか。そこが曖昧だと文章そのものの信憑性が怪しくなってしまいます。
 自分を信じる。ここから始めることですね。明日も自分を信じて、写真家的文章作成技法を書き進めることにします。次回、まだ何を書くか決めていませんが、お楽しみに・・・。

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高原淳写真的業務日誌