
おはようございます。
高温多湿。こんなときはパソコンに向かっても調子が出ない。道外の人なら、たぶん快適領域と感じるだろう。僕は根っからの道民。エアコンで除湿。少しひんやりする中で原稿を書く。しかし、執筆スピードは変わらない。辛抱強く一日パソコンに向かっていれば書けるはず……。そんな淡い願望は打ち砕かれた。原因は明らかだった。断片的な情報が散乱していて、自分の頭の中でまとめられていない。このため、事実を確認しながら書き進めなければならなかった。
目を閉じると、トンネルを掘るイメージが浮かんできた。もちろんトンネルを掘ったことはないが、掘り進むと水がしみ出してきて、水を止める作業にエネルギーを費やす。その結果、なかなか前に進んでいかない……。「事実」というセメントがなかなか固まってくれない。
結局、原稿は完成に至らず、今日に持ち越されることとなった。
専門分野に固執すべきではない
「新版・次世代幹部養成塾」はまだまだ続くのですが、果てしなく続いていきそうなので、別なテーマと並行して書いていこうと思います。確か数週間前にもそう思って、「炭酸旅」を書いたわけですが、こちらは企画倒れになりそう。書けそうなネタがあと2つしかない。もう少しストックが増えたら再開しようと思います。
代わりにテーマとして浮上したのが「門外漢の原稿作成技法」。この「門外漢の」というところがポイントです。
気づくと、僕らは自分の専門分野外の仕事をしていることが多い。そして、何が自分の専門分野だったのかすら怪しくなることがある。僕の場合は写真が専門分野、原稿執筆は門外漢。社長業は……。ちょっと秘密。そういうことにしておきましょう。
それはともかく、門外漢の業務に従事することを肯定的に捉えるか、否定的に捉えるか? 両方ありだと思います。ですが、我が社の社員であれば、肯定的に捉えたほうが仕事を楽しむことができるでしょうね。
最初から領域を広げすぎるとぼんやりとした生き方になってしまい、自分の取り柄がハッキリしないまま仕事人生を終えることになってしまいます。まず、自分が何をしたいのかハッキリさせる。けれども、与えられた仕事、たまたま出合った仕事に対しても全力を投入してみる。偶然と思えることであっても、そこに意味を見いだすことができれば、自分の専門分野のスキルアップにつながっていくはず。
僕の考えでは、自分の専門分野を深く掘り進めようとすればするほど広がりが出てくるものです。スコップを使って地面に深く穴を掘ろうとすると、直角に掘り進めることはできません。深く掘り進むほど、穴の直径は大きくなる。そんな理屈です。専門分野だけに固執すると深くはならないのです。
それにしても、僕の仕事人生は当初の想定とは異なった方向へ進んでいくことになりました。「当初」というのは学生時代の頃という意味。この頃は自分の仕事人生をしっかりイメージできずにいました。「写真で生きていく」と決意しながら、そのために具体的に計画を立て、行動することをしなかったのです。ただひたすら作品制作に没頭していただけ。ここが僕にとっては失敗といえますし、好意的に解釈すれば人生に広がりをもたらすことになったわけです。なぜか、就職後にデザイナーのアシスタントとなり、その後はライターとして働くこととなった。
文章を書き始めた頃
文章を書く。それを仕事として行うようになったのは、1986年夏のことだったと記憶しています。(株)廣済堂を退職後、(株)現代旅行研究所に入社。勤めたのはわずか半年間。本当に組織にはなじめない人間でした。今もなじんでいるとは言い難い。人間力豊かな当社社員のおかげで、何とか組織の一員として踏みとどまっている。そう思うことがあります。
それはともかく、現代旅行研究所では、社長を含め全社員がひとりで取材へ行っていました。自分で取材し、自分で撮影する。僕以外の社員は文筆が本業。写真は門外漢。僕はその逆。取材、執筆に関してはほぼ素人でした。
その結果、どういうことになったのか? 単に「ひとり旅をしている人」のような状態になっていた。実際には「取材せねば」と焦っていたのですが、取材とはどういうことか、まったくわかっていなかったんですね。旅館のパンフレットに書いてあるようなことしか、相手から聞き出すことができない。当時は今とは比べものにならないほどコミュニケーション能力が低かったのです(今も低い)。
取材では、何とか事実だけは明らかになったものの、背景やストーリーを聞き取るには遠く及ばないという状態。会社に戻って原稿を書く時間はかなり苦痛でした。事実だけで構成した文章には、何のおもしろみもなかったのです。当時制作していたのは旅のガイドブック。自分が旅先で感じたことを文章にしてはいけないと思い込んでいました。「キミの文章は即物的だね」と評されたのはこの頃。主観的表現は許されないと思っていましたから、何をどう書いたらよいのかわからなくなってしまいました。
現代旅行研究所退社後はフリーのような状態に。その後、M氏(現スロウ編集長)と一緒に仕事をするようになり、本格的にライターへの道を歩むこととなります。
ただ、仕事内容は大幅に異なっていました。僕に任された原稿は「取材を必要としないもの」だったのです。現代旅行研究所時代は「取材すること」が前提条件。現地取材が基本で、小さな記事の場合は電話取材することもありました。その電話取材も「過去に誰か取材したことのある場所」に限られていたと思います。それが一転、取材不要の原稿を書く日々に変わりました。通信教育の広告コピーであったり、女性誌の実用記事といったもの。取材ではなく、資料を読み解きながら、頭の中で再構成してアウトプットするという書き方。
最初のうちは200字程度書くだけでも半日くらいかかっていました。まるで文章にならない。頭の中のモーターは過熱しっぱなし。それも、難解なテーマについて書いているわけではありません。「1日30分テキストに向かうだけで○○○の資格が取得できちゃいます」といった文章を書くだけなのに……。僕の脳みそには重大な欠陥があるのではないかと悩みました。
この体験が、その後の僕の仕事人生にとって幸いだったと知ったのは、ずいぶん後になってからのことでした。
