当麻町/2018.8.26
おはようございます。
昨日は当麻、旭川で2件の取材と2件のプレ取材でした。取材活動をしていて、ときどき考えるのは、「経済活動とはどういうことなのだろうか」ということ。もうひとつ、「自由とはどういうことなのだろうか」ということもよく考えます。答はひとつではありません。自分で答を見つけねばなりません。自分の本心から導き出した答に従って、人生をよりよく生きていこうと努力しなければなりません。その真剣さの度合いによって、自由が得られることになるかもしれないし、真に意味のある経済活動ができるようになっていくのかもしれません。
昨日は変動費について書きました。今日は固定費のコストコントロールです。
固定費についての考え方
変動費は商品を生み出すために必要な原材料費や外注加工費のことですから、コストコントロールはどうしても限定的なものとなります。
一方、固定費のほうはどうか? 自社の考え方やアイデアによって、ある程度自由にコスト配分できるもの。それが固定費ではないかと僕は考えています。固定費の使い方にその会社の経営姿勢を垣間見ることができるのです。
非正規労働者を大量に採用し生産活動を行う会社があります。一方、同じ業種であっても、徹底的に機械化し、無人に近い工場を造ってしまう会社もあります。コストを人件費に使うか、機械設備に使うかの違い。
本当は機械化できるものであっても、あえて人の手で物づくりを行っているという会社もあります。経営陣の企業経営に対する考え方がもっとも色濃く表れていると思いませんか?
固定費には大きく二つに分けて「売上・利益を生み出すコスト」(プロフィットコスト)と「会社の利益を圧迫するコスト」(ロスコスト)とがあります。後者の固定費を減らし、前者に対して重点的、効果的に配分するというのがコストコントロールの基本的な考え方です。
では、プロフィットコストにはどのようなものがあるのでしょう?
僕の考えでは、教育費、研究開発費、広告宣伝費の3つは売上・利益を生み出すために必要なコストです。古い考えを持つ経営者の場合は、これに接待交際費が加わります。今の時代、ゴルフとか夜の接待で仕事につなげようとする考えそのものがナンセンス。交際費はギリギリまで減らすべきもの……。ただ、これは僕の個人的な考えなので、異なる考え方を否定するものではありません。
さて、固定費の中でもっとも大きな割合を占める人件費はどのように考えたらよいのでしょう?
当然プロフィットコストに含まれることになります。しかし、次世代の経営者、経営幹部となる人には、もう一歩踏み込んで考えてほしいと思います。
プロフィットコストも「コスト」ですから、お金をかけるにしても安くて済むのなら安いに越したことはありません。しかし、この考え方を人件費にあてはめてよいわけでありません。当然ですよね。
僕の所属する中小企業家同友会経営労働委員会(北海道では経営指針委員会)では、月次決算の中に「分配可能利益」という項目を付け加え、一般の固定費と人件費とを分けるべきだとの考えが示されています。僕らが重視すべき利益。それは、売上から変動費と「人件費を除く固定費」を差し引いた分配可能利益なのです。分配可能利益が十分に確保されれば、社員一人ひとりの経済的豊かさに結びつくことになるのです。
コストコントロールと「勉強」
社内を歩いてみると、無駄に使われているもの、何も生み出さずに放置されているものがいくつも見つかるものです。変動費、固定費を問わず、こうした無駄を徹底的に減らしていったら、どういうことになるでしょう? そう、利益がそっくり会社に残ることになるんですね。
商品の販売、つまり「売上」には仕入れや原材料など原価がかかっています。しかし、コスト削減による利益には原価はかかりません。会社に残ったお金はそのまま純利益といってよいのです。この違い、おわかりでしょうか?
昨日同様、売上1億円の会社で考えてみましょう。昨日は変動費4000万、固定費5000万という設定でした。社内でコスト削減活動を実施した結果、固定費、変動費、それぞれ500万削減できたとしましょう。元々の経常利益1000万に、コスト削減分1000万が加わることになります。経常利益は倍増の2000万ということになるわけです。
これがコスト削減ではなく、売上1000万アップだったらどうでしょう? 売上が1億1000万になっても、経常利益が2000万になるわけではありません。売上1億1000万×限界利益率60%=限界利益6600万。6600万-固定費5000万=経常利益1600万。利益の増加は600万。これでも立派なものですが、コスト削減による増収に比べると、400万円少なくなります。
コストコントロールの重要性について、理解してもらえたでしょうか?
最後に「利益」について、内省的考察を加えてみたいと思います。
昔は値引きすることを「勉強する」と言っていました。今でも関西などでは使われているはず。勉強=値引き。どうして、値引きすることが勉強なのでしょう?
本来、値引き(ディスカウント)とは、自社の価値を下げることです。価値が低い場合は値段を下げざるを得ない。と同時に、価値ある商品でも安い価格で顧客に提供すれば、顧客満足度は高まることになります。したがって、売り手と買い手との間では絶えず価格交渉が行われます。
売り手にとっての課題は、どうすれば双方満足する結果が得られるのかということ。そのために「勉強しなければならない」のです。勉強していなければ、原価は変わらないのに売値を下げるようなことを行ってしまいます。限界利益(付加価値)が減る。つまり、自社の価値の低下を認めてしまっているようなものです。
一方、勉強している会社は、商品の作り方を改善して原価を低減したり、研究開発に努めて高付加価値商品を生み出すなど、適正利益が確保できるような仕組みづくりを行っています。勉強=企業努力。たとえ、価格を下げたとしても適正利益が得られるのです。
経済活動は激しい競争によって成り立っているという一面があります。仮に、競争がなかったとしたら、どの会社も努力しないことでしょう。何か買い物をしようと思ったら、えらく高いものばかり買わされることになるはずです。競争原理が働き、企業は勉強し、その結果、個人も企業も能力を高め成長・発展していく……。健全な意味での資本主義経済は、そのようにして成り立ってきたのです。
変化の激しい時代になればなるほど、勉強しているかどうかによって、天と地ほどの結果の違いが生まれることとなります。どうやったら、お客様もっとが喜ぶのか? 付加価値創造こそ、勉強の本質なのだと思います。