
当別町/2018.8.30
おはようございます。
小樽で起床。8時45分、札幌でK氏と合流。当別へ。9時50分から最初の取材。話は多岐にわたったが、根底に流れる思想・哲学がよく理解できた。非常に興味深い話。もっと知りたいと思った。ひと通り話を伺ったあと、雨の中で撮影。一枚一枚の葉が輝いて見えた。午後は深川で2件目の取材。仕事観が伝わってきた。純粋さとひたむきさ。自分もこうありたいという仕事の仕方。最後の取材地は下川。7時から取材。ユニークな活動とユニークな考え方。自分の考えと対比させながら話を聴いていた。8時半、いったん取材終了。夕食をいただきながらさらに話が展開していく。11時頃、すべての予定を終え、名寄の宿に到着。本当は下川に一泊したいところだが、満室で予約できなかったらしい。道内宿泊施設の空室不足はまだ続いている。
リアルタイムか長考か
昨日の取材はいずれも哲学的内容を含んだものとなりました。ふだんの取材も十分哲学的ではあるのですが、より本質的、核心的なところが語られていたのではなかろうか? 編集者のK氏、I氏がそうした質問を投げかけたわけではありません。自然にそうした話に発展していったという感じでした。
僕としては非常におもしろく、ふだん考えていることを深掘りさせてくれるものでした。スロウの取材ではたまにこうした場面に出合うことになる。事実関係を掘り下げながら、普遍的な事柄について語られていく。そうすると、必ず自分の生き方や仕事の仕方と照らし合わせながら聴くこととなる。脳が刺激され、イメージが広がる。アイデアが浮かびやすい環境が整う。昨日は出版に関するアイデアが僕の脳裏に浮かび上がってきました。K氏、I氏はどうだったのだろう?
スロウ編集部に身を置くと、20代の編集者であっても哲学的になっていくものです。あるいは、今の我が社は物事を哲学的に考える人が入社するようになってきているのかもしれません。これはまだ仮説レベルですが、ふとした瞬間、そう考えることがあります。
どうやら、僕の20代の頃よりも「ちゃんと考えている人が多い」。本当のところはまだわかりません。今のところ、僕の目にはそう映る。昨日の取材でも、ちゃんと考えているからこそ発することのできる質問が数多く見受けられました。僕にはちょっと不可能な取材でした。僕は考えがまとまるまでのタイムラグが激しい。数日、ときには10年以上要することもある。リアルタイムで語り合っている若手編集者には頼もしさを感じます。ちょっと持ち上げすぎか?
僕の場合は、「タイムラグがある」ことが弱点であると同時に、自分の強みなのではないかと考えることがあります。先代社長(父親)からは、子供の頃「下手な考え休むに似たり」と何度も言われました。将棋を指すと、必ず長考するタイプだったのです。
さすがに今は長考している時間などありませんから、できるだけ「現時点での答」を発見しようとします。しかし、10年、20年という長期にわたって考え続けているテーマもある。いろいろありますが、一番長く考え続けているのは「なぜ生きるのか?」とか「仕事とは何か?」といった事柄。一応、答にはたどり着いていますが、もっと深いところに自分の求める本当の答があるような気がします。
確信しても「決めつけない」
賢いタイプの人の一部には、パパッと答を導き出してしまって、その答と現実世界とを照らし合わせようとする傾向が見られます。これは中途半端に賢い人の弱点といえるでしょう。賢い人の目指すべき人生戦略は、「超賢くなること」ではないかと思います。あるいは、思い切って人生戦略を転換させて「バカになる」という方法もあるでしょう。このあたりの話は、「激訳・キャリアデザイン」の中で詳しく述べているので、ここでは割愛します。
編集者に求められる重要な習慣は、何事も「決めつけない」ということではないかと思います。自分の考えを持ち、それを伝える。それは日常的に行うべきことですが、それが「絶対そうだ」とは考えない。
決めつけると、考えなくなってしまいます。たとえ自分の考えが確信レベルにまで高まったとしても、常に「本当にそうなのか?」と考え続ける。そうすると、どこかに「耳を傾けるべき異論」があったりするものです。自分と異なる考えに触れる機会を意識的に増やしていった人は、哲学的に成長することができるに違いありません。
人生において20代の時期というものは、人からの影響を受けやすいという特徴があるでしょう。もちろん、影響を受けるのは悪いことではない。むしろ、どんどんよい影響を受けるべきです。何がよくて何が悪いか? 価値観がちゃんと確立されていけば、どのような会社組織に所属しても、あるいはフリーランスであっても、よい影響によって自分を成長させることができる。
ところが、価値観の部分が未成熟で自分の中に軸のようなものがない人の場合は、何かをきっかけに180度変わってしまうことがあるものです。自分はまだ未熟なのだ。そう自覚する必要がある。
未熟さの自覚と、安易な答に飛びつかないこと。これが仕事人生の前半では重要なのではなかろうか? 行動量を増やし、新しいことにチャレンジする。一見「飛びついている」ように見えたとしても、結論を急いでいるわけではない。そんなスタイルで生きている人もいます。逆に、行動は目立たないけれども、ひたすら自分の人生テーマに沿って仕事の質を高め続けている人もいる。スタイルはさまざまあります。
昨日、最初の取材の中で「写真がその人の精神に与える影響」について語られていたのですが、正確にはどのような話だったっけ? 一部忘れてしまいました。僕が40年前から考えていることでもあります。僕にとって写真は精神のバランスを保つものでもあり、混沌とした考えをまとめようとする活動でもあります。
考えてみると、「文章を書く」という活動も、写真と同じようなところがあります。僕は書きながら考えるタイプ。写真家的文章作成法といえます。この考えを発展させていくと、あらゆる仕事は、精神のバランスを保つためであり、考えをまとめようとする活動なのではないか? その両方を実感できたとき「天職」と思えるのではなかろうか? 引き続き考えます。