
下川町/2018.8.31
おはようございます。
昼頃まで下川で取材。前日の続き。何気ない場所にある興味深いものを探す活動。そこに小宇宙があるようにも感じられた。午後は名寄でプレ取材。不思議なところでつながっている。僕らは仕事で「有機的なつながり」を大事にしているが、ここにもそうしたものがあった。K氏を旭川駅に送り届け、I氏と僕は帯広へ。7時頃帰宅。2泊3日の取材旅行。収穫の多い旅となった。
正当な理由はあるか?
自己表現として文章を書くには相応の理由が必要ではないか、と僕は考えています。内面的な必然性。あるいは、書かなければならない理由や事情。もちろん、そうしたものはなくても、能力のある人ならば書くことは可能でしょう。けれども、必然性がなければ(薄ければ)、読み手に与える影響は小さいものとなるに違いありません。
原稿作成能力を高めるために理由を探すというのでは本末転倒ですが、自分の気づいていない「文章を書く理由」を見つけようとする努力は、20代の頃までにやっておくべきことではないかと思います。これは編集者だけではない。あらゆる職種の人に当てはまるのではないかと思います。
自分で希望してその職種に就いた人であれば、何かしら正当な理由を持っているに違いありません。その仕事をやるべき必然性。もっと踏み込んで言えば、それをやらなければ生きていけないというくらい差し迫った理由を持っている人もいるはずです。僕の人生には写真が必要でしたし、文章を書くことも同じくらい重要な活動となりました。
何か情熱を持って取り組んでいること。あるいは、自分を突き動かすものがあって、そうせざるを得ないようなこと。その背景には何かがある。その「何か」を特定することで、自分の目指すべき方向性がハッキリしてくるのではないかと思います。今日から9月。我が社では「個人のコア・コンピタンス」を作成する時期がやってきました。一人ひとり、自分と向き合って、自分の情熱の背後にあるものを見つけ出してほしいと思います。
写真を撮ったり、文章を書いたりすることは、自分の脳内のどこかに紛れ込んでいる「正当な理由」を見つけるのに有効な活動といえるでしょう。ですから、プロのフォトグラファーやライターでなくても、写真撮影や文章を書くという人は多いはず。自己表現であると同時に、自己分析のためのツールでもあるのです。
写真はスマホでも撮ることができますし、文章もパソコンを使うことで劇的に書きやすくなっている。今の時代、誰もが容易に表現者となれる。そして、その気になればみんな自己分析が可能となる。問題は「その気になるかどうか」でしょうね。
傷つきたくないという気持ちがあまりに強い人の場合、自己分析としての執筆活動にはならないに違いありません。あるいは、雑誌等で発表する文章に、自分の個人的な思いは書くべきではない……。そう考えるかもしれません。
そのあたり、媒体の編集理念、編集方針がありますから、一概には言えません。けれども、スロウのような雑誌では「書き手の思いや哲学」が欠かせません。ストレートに書き表すことは少ないかもしれません。どちらかというと背景として描かれていることが多いものです。
取材と背景との関係
人物写真を思い浮かべるとわかりやすいかもしれません。前面には人物が写っている。スタジオ撮影なら白バックということもありますが、たいていの場合、背景に何かが写っているはずです。室内なら、窓や壁、本棚などが写っている。屋外なら、建物、木、山などが写り込んでいるでしょう。
メインの被写体である人物そのものが存在感を放つ場合も多いでしょう。しかし、僕は背景に何があるのかが、非常に気になります。それによって、背景をぼかすか、鮮明に写すか、瞬時に判断する。写真家はそうした選択を常に行っています。
下川での撮影の際、僕が取材対象のF氏を撮影していると、編集者のK氏が近づいてきました。「バックにホワイトボードが入っているので避けたほうが……」。さすがです。その通りですね。
撮影者である僕は、当然ながらホワイトボードが背景に写り込んでいることを意識していました。僕は「被写体を動かさない」という撮影スタイルが基本。写ってほしくない場合は、角度を変えるか、ぼかすか、寄るか、別な方法を選択することが多いのです。僕の撮影法は東洋医学的(?)なのかな。取り除くということはあまりやりません。
でも、実際にホワイトボードを移動させると、格段に撮りやすくはなりました。こういうケースはよくあります。編集者が動かす分には、僕の撮影スタイルを変更したことにはならない。まあ、どっちでもいいことですね……。
主題と背景との間には関係性が求められます。僕は若干の違和感を感じながらも、F氏とホワイトボードとの間には関係があると思って撮っていました。たぶん、誌面には使われない写真でしょう。ただ、写真を撮るには撮影プロセスが重要であり、使われない写真であっても撮る必要があるのです。
同様に、原稿作成においても主題と背景との関係を認識する必要がある。この場合の背景は、取材対象者の背景と書き手の背景の両方。どこまでくっきり描写するか、あるいはぼかして書くか? このあたりは、書き手の意図と文章力にかかっています。
背景を描くことなしに主題だけ切り取ってしまったら、魅力的な文章にはなりません。写真で言えば、切り抜き写真ですね。主題は明確になりますが、そこに撮影者の表現はない(100%ないとは言い切れませんが)。
写真の場合、一瞬のうちに空間を認識し、感覚的に仕事を進めていくのが通常のやり方。ですが、文章の場合は取材内容(素材)を持ち帰って、後日、冷静な頭で言葉を組み立てていくものです。したがって、写真よりも論理的に、あるいは緻密に主題と背景の関係性を表現することが可能であるはず。僕はこのあたりに文章の特徴と面白さがあるのではないかと思っています。内面的必然性を持って取材すれば、これほどおもしろい仕事はありません。
