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平成30年北海道胆振東部地震

平成30年北海道胆振東部地震

おはようございます。
 大変な一日でした。「でした」と過去形で書いてしまいましたが、道内には今も大変な状態の方々が大勢います。そして、何より厚真方面の方々が気になります。チビスロウの取材等で何度も訪れた町ですが、風景が一変してしまっている……。ご無事を祈るばかりです。

地震が起こったのは9月6日午前3時8分。スマホの地震警報が鳴り響くと同時に地面が揺れた。帯広は震度4だったので「ちょっと大きかったな」という程度。大変だったのは、停電しているとわかったとき。しかし、隣のクナウハウスの廊下は電気がついている。停電したのは我が家だけか? そう思ってブレーカーを点検するも、変わった様子はない。後からわかったのは、クナウハウスの廊下には非常用の電源があったらしいこと。付近一帯はすべて停電していた。信号も消えていて危険な状態。
 この日は旭川方面の取材予定が入っていた。編集者のI氏に連絡。I氏宅は停電にはなっていないらしい。ひとまず回復を待つということに。
 朝7時過ぎ出社。すでに数名出社していた。大規模な停電ということで、自宅待機の指示が各部署連絡網により伝えられているとのこと。この時点ではまだ電話が使えていた。まずは一安心。今回の出張は完全にとりやめだな……。状況を把握した時点で、はっきりわかった。
 停電で困るのは、情報収集と冷蔵庫。近所の人は「溶ける前にアイスを食べなきゃ」とのんきな発言。しかし、真実でもある。帰宅後、さっそくアイスを食べる。
 アイスを食べる前だったかあとだったか忘れたが、車のバッテリーがあることに気づいた。延長コードもたぶんある。車のコンセントから冷凍庫に延ばしてみる。玄関にある冷凍庫がまずは復活。1500Wまで使用可能なので、もう1台使ってもよいはず。そう気づいたのは昼食後。別な延長コードを探す。10mくらいの延長コードがあった。台所の冷蔵庫も復活した。
 電気を使う調理器具が使えないため、昼は外焼肉にしようということになった。食材が傷む前に……とクナウハウスの住人が魚や肉を持ち込み、カセットコンロの上で焼く。食事会用のジンギスカンも投入。充実した昼食となった。が、この日の帯広は30℃。満腹と高温。途中でもうろうとしてきた。昼寝する。
 午後、原稿執筆を試みるものの、とにかく高温多湿。30分ほどであきらめる。そうこうしているうちに、夕方が迫ってきた。ロウソクとスマホの明かりを頼りに、そうめんをゆでる。食料の備蓄に不安はない。問題は燃料だな。カセットガスの買い置きは3本のみ。
 すでに、電話は使えない状態になっていた。情報源はラジオのみ。これが数日続いたら参るだろうな……。
 まあ、せっかく与えられた臨休(小学校の時の大雪による臨休を思い出します)。少しは楽しまなきゃ、ということで、カメラを三脚にセット。外に出る。周囲は真っ暗。そして、満天の星空。自宅から天の川を見ることができるとは。クナウハウス住人のA氏も星空の撮影をしていた。人工衛星らしき光跡を発見。20分ほど天体ショーを楽しむが、蚊の存在が気になってきた。1ヵ所刺された時点で撮影意欲は減退。自宅に戻ってムヒを塗る。
 次なるお楽しみは……。延長コードをさらに延ばしテレビにつなげる。といっても、テレビ番組は映らない。ビデオに切り替える。やや暗い室内で録画してあった映画を見る。まあ、これも悪くはないか。そう思い始めた頃、突然部屋が明るくなった。2、3日は停電が続くものと諦めかけていたが、思ったよりも早く復活。
 9時台のニュースで状況を把握。やはりまだまだ停電しているところが多いらしい。電気がないと不便。というよりも、僕らの生活は電気に頼りすぎている。そして、電気を電力会社に依存しすぎている。電力を自給自足できたなら。今回の停電を通じて、そう思った人が多いのではなかろうか? 
 そして、懸念されるのは北海道経済への影響。まだ停電が続いているのはどのあたりなのか、正確な情報がわからない。観光への影響も大きいはず。影響が長引かなければよいのだが……。
 北海道は日本の中では災害の少ないところ。それだけに、災害への備えも心構えも不十分なところがあるようだ。できる限り、日頃から災害に対して備えておく必要があるな。巨大地震は必ず訪れるもの。そう考えておいた方がいい。
 会社のみんなは、昨日一日をどのように過ごしたのだろうか? 気になります。

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