第16回 書き手の背景

第16回 書き手の背景

おはようございます。
 昨日は強行日程。そう思って身構えていたのだが、終わってみるといつもの取材旅行と変わらないな……。朝6時出発、11時中川町着。取材ではなく、印刷物の納品。物流がストップしているため、直接届けることになったのだった。取材は東川。興味深く、奥深い話を聴く。あるレベルを突き抜けると、ジャンルの異なる人であっても話が通じ合う。こうした話は取材等を通じて何度か聴いているが、突き抜け方にもさまざまあるようだ。すごい話だな。
 帰り道では、I氏と取材スタイルについて意見交換した。自分の身につけた取材方法には、その人の性格、技術レベルの他に、仕事環境や経験の違いも大きく作用していることがわかってきた。もうひとつ判明した事実。それは中川町は日帰り圏内と判明したことだった。

真似るよりインスピレーションを得る

考えてみると、僕もさまざまな経験を経て、今の仕事の進め方に至っています。それが正しいとか、このやり方がよいと思っているわけではありません。このやり方しかない。あるいは、気づいたらこうなっていた……。僕の場合はこんな感じでしょうか。特に取材の進め方については、不自由感を感じながらも自分のやり方以外ではできそうにない。
 数多くの編集者・ライターと仕事をしてきて、それぞれの長所も短所も知り尽くしている僕ですが、それを自分の取材力向上につなげることができずにいる。若手編集者にとって喉から手が出るほど知りたい情報、立ち会いたいシーンに僕は何度となく身を置き、取材の奥義(?)を見てきました。その一部でも自分の取材に応用できたなら、僕も一人前の取材者になれたのかもしれません。
 ただ、プロの身につけた技術、スタイルを簡単に真似られるものではないということも、ちょっと考えるとわかるものです。プロのフォトグラファーの撮影技術をすぐそばで見たからといって、それを真似られるはずはない。「わかってもできない」あるいは「どこがすごいのかわからない」ということになるはず。「わかる」のレベルが高くなければ、自分のものにはなりません。
 真似られるものは真似たほうがよいと思いますが、簡単に真似られないようなものは、真似ようとするよりもインスピレーションを得ることに注力するほうがよいのではないか? そんなふうに思っています。卓越したレベルのプロと同じようにはできないのですから、同じようにするのではなく、自分のやり方にひとつ新しいものを加えてみる。たぶん、僕の場合はそのようにして、今の取材の仕方、原稿の書き方に落ち着いたのではないかと思います。
 昨日車の中で話しながら、自分の所属した組織や携わった媒体の影響も大きなものがあるな……と思っていました。
 極端な話、電話帳の制作業務に携わってきたとしたら、どんな自分になるのだろう? きっと、「一文字たりとも間違えまい」という自分ができあがるに違いありません。一般の雑誌でも、事実が何より大事という媒体は山ほどあります。もちろん、我が社の媒体も事実に間違いがあってはいけない。それが前提ではありますが、事実を踏まえた上で伝えたいことがある。ですから、取材では事実確認よりも思い、哲学、歴史、背景をできるだけ聴こうとする。どんな媒体を作ろうとしているのかによって、当然取材の仕方が違ってくるわけです。

自由と不自由

我が社でも、月刊しゅんを経験した人がスロウ編集部に異動すると、取材の仕方、原稿の書き方に苦労することになります。目指しているところには共通するものがあるのですが、それぞれ特性の異なる媒体。思想、哲学は共通していても、表現の仕方は大きく異なる。大いに戸惑うことになるでしょうが、両方を経験することによって得られる能力もあるに違いありません。
 同様に、中途で我が社に入社した人も「異なる背景」によって才能が開花することがあるのではないか、と思いました。考えてみると、僕も中途入社組です。東京での15年の経験は無意味ではなかったはず。そう思いたい。
 大事なことは、過去の経験や自分の持つ背景を肯定的に捉えながらも、今現在所属している組織や携わっている仕事のやり方を素直に受け入れられるかどうかということ。経験者の「経験」が生かされるかどうかは、「現在」を素直に受け入れられるかどうかにかかっていると言ってよいでしょう。
 我が社は出版社としてはガラパゴス化したところがありますから、ずいぶん変わった仕事の進め方をしているはずです。僕が連載記事を持っているのも、ほぼ自由に書籍を出版できるのも、普通とは異なる組織だからなのかもしれません。僕が特別な立場にあるからではない。我が社では、新入社員でもその気になれば、連載も持てるし、自由に自分の本を出版できる(質が伴っていれば)。
 東京時代は出版社や広告代理店から仕事を受注して、要望通りの記事や広告を制作するという仕事でした。それが今では自分のつくりたい雑誌、つくりたい本を自由につくることができる。そんな願ってもない仕事環境を手にしたのです。印刷会社が出版事業を行う。大変といえば大変ですが、僕にとってはラッキーなことこの上ない。
 そして、新卒で入社して「自由に本をつくることができる」というポジションを手にした人はどんなふうに成長していくことになるのだろう? この価値がわかった人は大きく成長するに違いありません。ただ、本当のところ、どちらがよいのかは僕にはわからない。不自由な時代を経て自由を手にするのと、最初から自由なポジションに身を置くことができるのと、いったいどちらがよいのでしょう?
 昨日の取材を通じて思ったのは、自分を高めようと最大の努力をしている人は、必ず何かを残すことになるということでした。それは、仕事、作品という形で残す人もいれば、後継者、組織を残す人もいる。何かを生み出して誰かに伝える。経済的側面は自分の仕事の半分でしかありません。世の中にどんな影響を与えているのかについて、僕らはもっと考えるべきではないかと思います。

ソーゴー印刷株式会社

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高原淳写真的業務日誌