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第18回 ゼネラリストとスペシャリスト

第18回 ゼネラリストとスペシャリスト

せたな町/2018.9.13

こんばんは。
 ハードな一日でした。朝6時半札幌を出発し、せたなへ。10時45分から取材。前回訪れたときは曇天だったが、今回は青空。思い通りに近い撮影ができた。午後1時から次の取材。ああ、やはり。ここには来たことがある。鮮明に思い出した。あれからもう10年もたつのか……。取材当日の天気、取材内容、会話の中身、ほとんどすべてを思い出した。今回の撮影では10年前とはずいぶん勝手が違っていた。俊敏な動きが求められる撮影内容。途中までは対応できていたが、ちょっとした油断があったのかもしれない。豚に吸い付かれたうえ、軽くかまれた。滅多にできない体験。変わった写真が撮れた。
 午後2時過ぎ、遅めの昼食。その後もせたなでの取材が続く。温泉2軒。夕刻が迫ってくる上に、時間ロスがあった。最後の撮影は午後5時半頃となった。露天風呂を撮影して終了。宿は島牧。ここも懐かしいな。何年ぶりになるのだろう? この日の撮影は、最初から最後まで過去の記憶をたどるものとなった。

編集者はスペシャリストか?

年月の流れを感じつつも、取材・撮影のほうは冷静かつスピーディーに行われていきます。K氏とT氏、両編集者は的確と思われる質問を繰り出す。取材の質は、質問力によって左右されるもの。もちろん他の要素も複雑に絡んできますが、取材件数が立て込んでいるときには、取材力がものを言う。限られた時間の中で深い話を聴くためには、欠かせない能力といえます。
 それでいて、100%取材に専念しているというわけではない。ここが編集者として重要なポイントかもしれません。フォトグラファーがどんな動き方、撮影の仕方をしているのか、取材しながらチェックしているのです。
 本当は「心配ご無用」と言いたいところですが、僕もけっこう気づいていないことがあるもの。「今撮ろうと思っていたのに……」と言いたくなる場面もいっぱいあるものの、「指摘してくれて助かった」と思うこともある。ですから、編集者は遠慮なくフォトグラファーに必要カットを要求するほうがよい。初歩的カットの要求は勘弁してほしいと思いますが、確認するように尋ねてみるというのはアリでしょう。
 編集者としての経験を積み重ねた人は、どんな記事内容でどんなカットがほしいのかについて、きちんと(またはさりげなく)伝えるものです。記事内容がイメージできると、撮影時の迷いは減る。最初のうちはきちんと伝え、徐々に伝える言葉を少なくしていく。最終的には、編集者と撮影者が同じイメージを描きながら取材できるようになっていく。これが理想形でしょう。
 編集者という職種はスペシャリストに分類されることが多いのではないかと思います。けれども、求められる能力はゼネラリストに近い。所属する組織にもよりますね。我が社の場合、編集者は書き手でもある。ライターの仕事が含まれているのです。それだけではありません。たぶん、これは我が社だけの仕組みかもしれない。編集者は営業の仕事を行うことにもなる。これは印刷会社ならではの職域といえるかもしれません。
 我が社では、編集者の職域は非常に広い。したがって、ゼネラリスト的に成長していくことになるでしょう。反対に、フォトグラファーの職域は狭い。スチル写真に加え、数年前から動画も撮るようになりました。この程度の職域の広げ方。例外的な人もいますが、フォトグラファーは完全にスペシャリストといえます。

創造表現と感動表現

そこで僕は、ハタと気づいてしまったんですね。僕が入社したばかりの頃。2000年当時の我が社の会社案内に書かれていた謎のキャッチコピー。それは我が社の理念を表す言葉だったような気がします。あるいは、単に当時のデザイナーか思いつきで入れた言葉だったのか? 今となってはわかりません。
 その言葉とは「創造表現」「感動表現」。表紙をめくると、この2つの言葉が目に飛び込んでくるのです。数日に一度、この言葉を僕は思い出してしまうのですが、その意味について、今ようやくわかったような気がしています。
 たぶん、創造表現のほうはスペシャリストによる表現。感動表現はゼネラリストによる表現なのではなかろうか? 
 新しいものをつくり出すことに集中するのがスペシャリストですから、あれもこれも器用にこなすという人は少ない。むしろ、ひとつのことをどうすれば深めていけるのか? そのことばかり考える人たち。僕も元来スペシャリストタイプのひとりです。だから、創造表現となる。
 ゼネラリストも新しいものを生み出そうとします。けれども、ゼネラリストの創造性は自己完結型にはならない。誰かの助けを得て、あるいはチームを動かして成し遂げることのできる創造性なのです。直接的な創造表現ではなく、感動を伝えたり、感動を生み出したりすることによって、間接的に創造力を発揮する。
 的外れな想像かもしれませんが、僕は我が社の20年前の会社案内をそのように解釈することにしました。そう考えることで、今日の我が社のチームのあり方が理解できますし、我が社の求めるべき将来像が明確になるような気がします。
 スペシャリストタイプである僕の書く文章は、創造表現に近いものとなることがあります。主観がどうしても強くなる。一方、ゼネラリストである編集者の書く文章には客観性が感じられる。僕としては「もっと主観を前面に出せばよいのに」と思うこともあります。
 しかし、よく読むと感動表現の中に主観が込められているんですね。取材相手の心情に寄り添った書き方をすることによって、抑制のとれた形で主観が表現されている。
 両方の表現力を併せ持つことができれば、もっと複雑でより豊かな文章表現が可能となるに違いありません。異なるアプローチを試してみる。そんな実験が僕にもみんなにも必要でしょう。

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