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「符号のようなもの」について

「符号のようなもの」について

皆さん、こんばんは。
 今は午後11時をまわったところ。ふだんの僕なら、とっくに眠っている時間です。なぜ起きているか? そう、締め切りに追われているんですね。しかし、つい20分ほど前、無事入稿することができました。
 スロウ第54号の入稿は編集部員全員ずいぶん早い段階で終わっており、僕はダントツの最下位ゴール。プレッシャーによるためか、2日連続お酒を飲んでしまいました。今朝は心を入れ替え、朝からただひたすらパソコンに向かっていました。夕方までに本文が完成。買い物から戻り、夕食後からは原稿をインデザインに流し込み、見出し、キャプションを加えて完成。少しホッとしているところです。
 しかし、明日午前中までに片づけねばならない仕事がもうひとつある。これを今やるか、明日やるか? たぶん、明日朝、クリアな頭で取りかかることになるでしょう。

そんな切羽詰まった状況のため、写真家的文章作成技法は1回お休み。代わりに、人生年表を作成したときに見つかるかもしれない「符号のようなもの」について書くことにしましょう。
 実は「符号」については、去年ニセコで行われた道研(全道経営者共育研究集会)の分科会で事例発表した際、参加者から質問をいただいいていました。そのとき、僕は著書「激訳・経営指針成文化」に書いてある内容を繰り返しただけで、詳しくは答えませんでした。同書の39ページに載っている部分です。
 詳しく話すとけっこうややこしいことになりそう。しかも、長く話している時間はない・・・。そんなわけで、最短の時間で答えられる言葉を選んでしまったのです。そのことが何ヵ月たっても気になっています。
 本の中では、自社の年表と人生年表を重ね合わせることで、「符号のようなもの」を発見することがある・・・と書いています。実際その通りだと思います。僕に限らず、経営者の人であれば、自社の社歴と自分の人生との間には何かしら密接に関係しているものがある。
 ただ、この符号のようなものは、単純に横軸だけでつながっているというものではないんですね。縦、つまり時間軸でもつながっている。自分の人生において周期的にやってくる「何か」があり、それは完全に一致はしないものの、自社にもやってくる。単純にチャンスとかピンチといったものだけではなく、不思議な何かが訪れる(または現れる)のです。それは「人」である場合もあれば、「出来事」のこともある。
 こうした周期性のあるものとは違った符号も数多く存在するような気がします。符号とは「ふたつ以上の事柄が、ぴったりと照合・対応すること」です。最初の出来事が学生時代にあり、それにぴっったり照合・対応する出来事が30年後に起こる・・・。そんなケースもあるのです。
 人生年表の場合は、どんなに詳しく記述しても行数は知れています。無限に項目を増やすわけにはいきません。ですから、自分の記憶の中で「過去の出来事」と「最近の出来事」をつなげていくことになります。人生年表を作成するメリットは、詳しく作成しておけば、書く必要がないと思うような些細な出来事についても記憶が鮮明になり、その結果、最近の出来事とのつながりが発見しやすくなるということ。その中に、案外ビックリするような真実が含まれていたりするのです。

学生時代は頭が活発に働いてはいるものの、どうしても物事を浅く解釈し、短絡的になってしまう傾向があります。ですから、事実はわかっていても、真実にまではたどり着かないことが多い。長い人生の中で、僕らは同じような経験を何回も繰り返すものです。何度も繰り返すものにこそ、実は深い意味がある。そう思うことがあります。何度も何度も締め切りギリギリに原稿を仕上げる。編集部から少しだけ冷たい視線が投げかけられる・・・。これは僕が何度も繰り返しているパターンです。そこに何かしらの意味がある。
 人生の中には非常にわかりにくい符号が隠されているものです。20代のときには「取るに足らないもの」と考えていたことが、50代になってみると実は「重要なことだったのだ」と気づくことがあります。
 もう、何10年も以前に誰かから(または出来事から)、僕は教えられていた。それなのに、気づかずに放っておいた自分がいる。気づくまでに30年、40年もかかってしまった自分に対し、今さらながら驚いてしまうのです。
 「初めて知った」「初めて気づいた」という事柄が人生には数多くあるはずです。けれども、よくよく考えてみると「初めて」というものはほとんどないのかもしれません。「初めて」と思った事柄は、実は何10年も前に自分に知らされていた、伝えられていたものであることが多い。「初めて考えた」というのが真相なのです。
 そんなわけですから、自社の社歴にも人生年表にも真摯な態度で向き合う必要があるのではないかと思います。それができれば、自分の人生目的が何なのかが明らかになってくるでしょうし、生涯を貫く自分の人生態度が確立するに違いありません。
 最後に残るは僕にとっての最大の謎。それは世代間の符号です。まだ僕は親から投げかけられたいくつかの謎に対して、有効な答を見いだしているとはいえません。いつの日か、このテーマについて書き表してみたいと考えています。

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