高原淳写真的業務日誌 > 門外漢の原稿作成技法 > 第20回 経営計画書の文体

第20回 経営計画書の文体

第20回 経営計画書の文体

おはようございます。
 早朝からひたすら経営計画書の作成を行う。去年も一昨年もそうだった。時間的に追い詰められる中での作成。このやり方ではいけない。そう思いながら、今年も繰り返すこととなった。ただ、丸一日集中したら、あれよあれよという間に目処がついてきた。もう一日、集中力を維持できれば、一気に完成まで近づくことができるに違いない。
 経営計画書を作成しながら、人生について考えていた。自分の人生と社員一人ひとりの人生。先代の時代に定められた社是の中に、「生涯を捧げて悔いのない会社にするためにたえず前進をつづけよう」という一節がある。今の時代、「生涯を捧げる」という発想はないかもしれない。しかし、捧げる価値のある会社を築き上げることができれば、幸せな仕事人生になるはずだ。自分の会社を「人生を豊かなものにする場所」と考えられる人を増やすこと。そのための道筋として経営計画がある。僕としては、仕事が好きな人にとって楽園のような会社にしていきたい。

一人称を排除した書き方

我が社の経営計画書は200ページ以上に及びます。危機管理ブックと就業規則を合冊したため、ページが増えたというのが真相。しかし、計画書の部分だけでも150ページある。簡潔な文章を心がけていますが、それでも長いと感じることがあります。
 16年前、最初に作成した経営計画書(第43期)はもっと簡潔なものでした。毎年少しずつ文章が加えられていって、気づくと一冊の本のようになっていた。経営理念をはじめ、毎年変わらないページもあります。すべてを書き換えているわけではありません。
 スロウのような雑誌の原稿と経営計画書の原稿とでは、当然ながら文体に違いがあります。僕の場合、雑誌と社内報の文体は比較的近い。意外に思われるかもしれません。ただ、僕にとってはそれが自然なのです。共通項はどちらも署名記事であるということですね。
 自分の名をタイトル脇に記して印刷される原稿。この場合は、自分という存在を前面に出して書くことができるのです。安心して「僕」とか「自分」と書くことができる。さらに自分100%で書くことのできる媒体といえば、ブログでしょう。文体に縛りもありませんから、そのときの気分やアイデアで文体も文章の組み立ても考えずに、勝手気ままに書くことがあります。一応、日本語として意味が通るように、書き終わった後に調整していますが。
 一方、経営計画書の文章はどうか? さすがに「僕」「自分」とは書けません。「第○○期経営計画策定にあたって」という僕の署名入りのページもあるのですが、そこでも一人称を書くことはありません。「僕」と書いてもいいような気はするのですが、書けない理由があるのです。
 それは、ある年度から部門朝礼の中で経営計画書を唱和するようになったのです。唱和する部分は各部署に任せています。「策定にあたって」のページを唱和する部署もある。みんなで唱和するのに「僕」はないだろう……。そんなわけで、一人称を書くのは必然的に避けるようになりました。

解釈の幅を狭める

経営計画書において、一人称が書かれることはありません。「我々」など、一人称複数代名詞を使うことはあります。たぶん、どの会社もそのように作成していることでしょう。
 ここで重要なのは、自分を前面に出さずに、いかにして自分の気持ちをにじませるか、ということです。
 経営計画書には、経営者の考えと思いがたっぷり詰まっているもの。同時に、部門計画の中にも各部門責任者の思いが詰まっている。どの会社も同じだと思います。
 けれども、「僕」「私」という言葉が使われることはない。一人称を使わず、ある程度の客観性を保ちながら、ギリギリの主観表現を行う。このあたりに経営計画書の文体の特徴があるといえるでしょう。「自分はこう思う」。そんなふうに書くことができたなら、どんなに楽なことか。社内報の文章のように経営計画書をつくってみたいと思うこともあるのですが、さすがに唱和は無理ですね。
 もうひとつ、経営計画書の文体に特徴があるとすれば、それは「解釈のブレが生じないような書き方をする」ことです。僕らは同じ日本語を使っていると錯覚していますが、一人ひとり頭の中にある辞書は異なっている。そう仮定して経営計画を作成しなければ、みんな好き勝手に解釈するようになってしまうのです。
 我が社の経営計画書には言葉の定義がくどいほど載っているページがあるはずです。特に「我が社の理念体系」の章では、いちいち言葉に定義づけしています。解釈がまちまちになってしまうと、理念も目標も計画も共有することはできません。雑誌の記事であれば、読み手が自由にイメージしてよいわけですが、経営計画では解釈の幅が広がらないような書き方をすることになる。これは非常に大きな違いといえます。
 たぶん、我が社のみんなも、そのように文体の使い分けをしているのではないでしょうか? たとえば、メールで誰かにメッセージを伝える際、解釈の幅が広いと困ったことが起こりやすい。的確に伝えるべき文章と、自由にイメージしてほしい文章。両者を使い分けることができなければ、一人前の社会人とはいえない。文章力以前の問題といえます。
 ごく稀にではありますが、何を伝えたいのかわからない文に出合うことがあります。ありがちなのは、ショートメールやメッセンジャーで送られてきた短い文。それ単独では意味不明。別々に送られてきたメールとメッセンジャーの文を組み合わせると、初めて読み解くことができる……。そんな暗号のようなメッセージもあります。伝達手段がたくさんある時代。読み手にも読解力が求められますね。

〒080-0046 北海道帯広市西16条北1丁目25
TEL.0155-34-1281 FAX.0155-34-1287

高原淳写真的業務日誌