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第21回 主題と背景との関係

第21回 主題と背景との関係

おはようございます。
 急ぎの案件が同時多発的にやってきた。どれを優先させるべきか? 僕はこんなとき、順番を間違えてしまうことが多い。昨日は果たしてこれでよかったのか? 本当のところはわからない。ともかく、2つの案件を進め、ひとつは完成。もうひとつは画質調整を残すのみとなった。
 4時間くらい、膨大な写真の中から必要なものを選ぶ。目はちくちく、肩はぱんぱん、頭はくらくらしてきた。そんな中、僕は写真と文章の類似性についてぼんやりと考えていました。

写真における背景とは?

商品撮影でよくあることですが、編集者から「切り抜きで撮って」と指示されることがあります。撮影用商品がたまっているときには、切り抜き撮影が延々と続く。もちろん仕事ですから、淡々と撮影するのみ。ですが、写真には必ず「背景」というものがあるわけです。撮影時には何かしらの背景が写り込む。実際に切り抜くのは、デザイナー(または次工程の誰か)ということになります。
 切り抜き撮影では、切り抜いたとき見栄えがよいように、商品のエッジを立たせたりすることが多い。このため、黒ケントやレフ板が商品の横に置かれたり、商品の形に合わせて切り抜かれたボードが写り込んだりする。僕はどうもそれが気になって仕方がない。自分の撮った写真に写り込んでほしくないものが写っている。フィルムカメラの時代にはそれがどうにも我慢ならず、仕事用と作品用、別々のカメラを使うほどでした。余計なものをいっぱい写してしまったカメラでは、個展用の作品は撮れない……。そんなふうに思っていたのです。若気の至りでもありました。
 今はそんなふうには思っていません。しかし、たとえ黒ケントであったとしても、それは写真の背景の一部ということになります。「背景」には少なからぬ意味がある。同じ商品写真でも、イメージカットとして撮ることがあります。この場合は、商品を置く場所が重要となる。編集者も撮影者も背景に何を写り込ませるべきか、イメージする。そうして、置き場所を変えたり、背景そのものを作り込んだりするわけです。
 一方、風景写真の場合は、被写体を作り込むようなことはありません。他の写真家はわかりませんが、僕の場合は、被写体に物理的影響を与えるようなことはしないようにしています。唯一の例外は「ゴミが落ちていたとき」だけ。このときだけはさすがに拾うことになる。
 風景における背景の意味は、場合によっては主題以上に重要なことがあります。もしかすると、背景が本当の被写体で主題のように見える被写体は「前景」なのかもしれない……。そんな写真もあるはずです。本当に表現したいのは主題よりも背景のほう。風景撮影ではどちらが主になるか、撮り方によってしょっちゅう変わるものです。
 主題となる被写体そのものは撮影者の目の前にある。しかし、背景となるものは360度広がっている。いったいどの範囲で撮ればよいのか? 実際の撮影で迷うのは2、3秒のことですが、人によっては長考の末にフレーミングを決めることになるでしょう。

無意識レベルでの気づき

僕は邪念が混じり込まないよう、できれば0.5秒、遅くとも3秒以内にはシャッターを切りたいと思っています。パッと撮る。その結果、後で写真を見ると、意図していなかったもの、意外なものが写り込んでいることがある。ここがちょっとおもしろいところ。撮影時、自分では認識していなかったはずなのに、自分の無意識レベルでは気づいていたのだ……。そんな気づきが撮影後にやってくる。これも写真の楽しみ方のひとつといえるでしょう。
 文章にも同じようなところがあります。背景はあまり作り込まないほうがよい。僕はそう考えています。
 たとえば、ひとりの人物を取材したとすると、その人の人生の歩み、仕事の実績、現在の仕事環境、生活環境、好きなこと、思想・哲学……。さまざまな背景がわかってきます。それをつなぎ合わせて、取材者が強引な解釈をしてしまうと、その人の本当の姿ではなく、「作り込まれた姿」になってしまう。これは雑誌づくりをする者としては気をつけねばならない点のひとつといえます。
 取材時点では、ありのままを受け入れる。そして、数多く存在する背景に関係性があるのかどうか、素直に考え、イメージしてみる。事実や背景をつないだり、解釈を加えることに変わりはありませんが、最初から決め込むようなことをしてはいけない。これは我が社の雑誌づくりでは鉄則となっていることのひとつです。
 取材から数日(または数週間)たち、いよいよ原稿を書こうという段になると、不思議な発見をすることがあります。これは撮影後に写真選びをしながら気づくこととまったく同じ類いのもの。取材ノートまたは音声データの中に、自分では意図しなかった言葉を発見するのです。
 話の本筋とは関係ないところで「重要なひと言」が発せられていたり、何気なくノートに書き留めた言葉が謎を解く鍵だったりする……。
 文章を書くときは、主題を明確にし、本論をしっかり展開していくことが大事であることはいうまでもありません。しかし、主題にリアリティを与え、魅力的に浮かび上がらせるのは背景の役目ということになります。これは写真も文章も同じ。それを的確にフレーミングし、どのように表現していくのか? ここに撮影者、執筆者の力量が表れることになる。
 ここでいう「力量」とは、技術レベルということではありません。何としても伝えたいという思い。「熱量」と言い換えるべきでしょうか? 熱量があるレベルを超えると、不思議な偶然と意外な発見がやってくる。実際はどうかわかりませんが、僕はそう信じて撮影または取材をしています。雑誌の仕事に限らず、たぶん、どの職種の人にも当てはまるのではないかと思います。

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