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第24回 視覚的に美しいか?

第24回 視覚的に美しいか?

おはようございます。
 昨日は最後の追い込み。経営発表大会の準備等。今期最後の営業日。社内でも、最後の追い込みに走っていた人も多かったことだろう。午後3時、同友会事務所。こちらはまだ「最後」というわけではないのだが、終盤の追い込み。「とかち道研」の参加働きかけ。僕としては大量の電話掛けを行う。5時帰宅。再び、パワーポイントのデータを作成。眼精疲労の波が押し寄せてきた。ペースが落ちる。10時頃完成。動作確認。日付が変わる前に就寝。

読む前に、眺めてみる

「門外漢の原稿作成技法」も今日で一区切りつけようと思います。あまり技法らしい技法は出てこなかったな……。それでも、その道のプロとは違った角度から原稿作成法について述べることができました。最終回は写真家的視点から文章、原稿について考えてみることにします。
 表現方法は異なっても、写真と文章は読者の「目」に訴えかける表現といえます。言葉は記号。そう言い切ってしまうこともできるとは思うのですが、僕はそこに視覚的美しさが考慮されていなければならないと考えています。
 文章における視覚的美しさ。それは僕の考えるところ、2種類あります。ひとつは書き手が責任を負うべきもの。もうひとつはデザイナーの手に委ねられるもの。
 前者はどういうことか? それは「漢字とかなの比率」「使用する漢字の種類」「一文の長さ」「句読点のつけ方」「改行の頻度」といったようなもの。こうした事柄について無頓着な文章は、非常に読みにくい。文章の中身は意味あるものだったとしても、読むことに疲れて意味を感じ取るところまでたどり着かない。残念ながら、世の中にはそんな文章、原稿が少なくありません。
 僕はバランス感覚が大切だと思っています。これは写真家的に文章を捉えると理解できるような気がします。
 いったん書き上げた原稿をプリントアウトする。できれば、実際に印刷された状態に近いポイント数、字詰、行間であればイメージがつかみやすい。プリンターから出てきた原稿。これを「読み込む」のではなく、ちょっと離れたところから「眺めて」みるのです。
 そうすると、「黒っぽい」「グレーっぽい」「隙間だらけ」といった印象が得られるでしょう。ひとつの文字を写真の網点のように捉えてみる。それによって、視覚的に文章を把握する。自然と、自分の傾向が見えてきます。「画数の多い漢字を多用している」とか、「改行がほとんどなく、羊羹のような記事になっている」とわかれば、自分の文章の改善策が見えてくるに違いありません。
 視覚的に見ても美しい文章。そんな原稿に出合うこともあります。バランスがとれていて、しかも単調ではなく、変化があったり、スリリングな部分もある。そういう視覚的おもしろさを持つ文章。思わず読んでみたくなりますね。自分でも、そうした原稿の書き方をしたいと思っているわけですが、まだまだ「自分のパターン」にとらわれているところがあるようです。

文字組み問題

視覚的美しさに影響するもうひとつの問題。それはデザイナーがどのように文字組みをするかということ。書き手から離れたところで行われる仕事ですから、完全にデザイナー任せという人もいるでしょう。また、雑誌・書籍の場合は最初から基本レイアウトが決まっているのが普通。書き手の自由になるわけではありません。
 我が社は昔から(僕が入社するずっと以前から)、文字組みについてはうるさく言われていた会社だったと思います。創業者が文字組みにうるさかった。何度も話を聞くうちに、僕も「文字組みはかくあるべき」と思うようになっていった。
 デザイナーの文字組みは、写植の時代、ほぼ完成の域に達したのではないかと思います。ところが、1990年代にDTPが普及すると、乱れに乱れた。素人デザインが増えたの最大要因。美とはほど遠い文字組みの印刷物が増え、それが紙媒体の地位低下につながったのではないかと思えるほど。それでも、ここ10数年の間に、再び美しい文字組みの印刷物が増えてきたような気がします。これはデザインの裾野が広がったことと、技術的問題がクリアされたことによるものでしょう(まだ問題は残っていますが)。
 うるさいことをいえば、写植時代の完成度にはまだ届いていない。フォント自体、満足すべきものが少ない。僕はそう感じていますが、それは僕の感覚が古いためかもしれません。若手デザイナーからそうした話を聞いたことはありませんから……。
 フォント問題、技術的問題はやむを得ないとして、僕は訴えたいのは「フォントの選択」「級数(ポイント数)」「字詰」「字間」「行間」。これらの適正な選択とバランスなんですね。文字組みについてちゃんと考えているデザイナーがつくれば、文章は読みやすいものになる(書き手の力量もありますが)。せっかくいい文章であっても、文字組みで損をしている……。そんな印刷物を見かけることもある。我が社の場合はほぼ大丈夫。ですが、もっと読みやすく、美しい文字組みができるよう、絶えず研究してほしいと思っています。
 写植はなぜ美しく感じられるのか? 写植の時代を知らないデザイナーであっても、ここを研究すれば視覚的美しさに近づくことができるはず。音楽の世界ではレコード盤の復権が進んでいるようです。さすがに写植の復活はないでしょうが、昔の技術から学ぶというのもアリでしょう。
 DTPという圧倒的利便性によって、ある種の美しさが犠牲になっている。しかし、技術は絶えず進歩しています。一昔前に犠牲になった美を今日の技術で取り戻すことは十分可能なはず。そのためには、「本来の美しさ」を昔の印刷物から学ぶことですね。最新の美しさと昔の美しさ。両方知ることで、デザイナーの能力は奥行きのあるものとなっていくに違いありません。
 なぜか最後はデザインの話になってしまいました。門外漢はいろいろなことに首を突っ込んでしまいます。
 新シリーズのテーマは、10月に入ってから考えることにします。

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