
皆さん、おはようございます。
深夜、岩見沢から戻ってきました。北海道中小企業家同友会南空知支部の新年交礼会に出席。10月開催される「とかち道研」のPRが目的でした。岩見沢は近い。そう感じるのは一種の「スロウ取材病」でしょうか。遠いと感じるのは片道4時間を超えるエリア。
同様に、以前であれば2000文字を超える原稿は長いと感じていましたが、今は毎日ブログで書いている文字数です。習慣化すると、別にどうということはありません。むしろ、読む人が負担に感じていないか心配になることがあります。
そんなわけで、できるだけ退屈にならないような文章を書こうと心がけています。事実を羅列すると退屈になる。事実以外のことに力を入れる。ポイントはここしかありません。
では、事実以外とは何なのか? ひとつは「思い」。または、思いに関連する文章表現です。たとえば、情景描写を丹念に行えば、書き手または取材対象の思いを伝えることができるでしょう。
もうひとつは「ユニークな解釈」ですね。これは「真実」と言い換えてもよい。自分(書き手)にとっての真実。ときどき、「真実はひとつ」と思い込んでいる人がいますが、そのようなことはありません。誰にも「自分の信じる本当のこと」がある。そして、自分の信じるまことと人の信じるまことの間には違いがあるのです。
たとえば、経営者の考えるよい会社と社員の考えるよい会社。だいたい同じではありますが、細部を見るとちょっとした差異がある。しかし、どちらも当人にとっては真実なのです。
そんなわけで、物事に対する解釈は人によって違いがある。自分にとっての真実をユニークに文章で表すことができれば、読み応えのある文章となる。
そのために必要となるもの。それが今回述べる「エビデンス」ではないかと僕は考えています。
相似形から仮説を立てる
エビデンスとは「証拠、根拠」のこと。文章の場合には「論拠」と言うべきかもしれません。通常の文章であれば、科学的証明が求められることはないでしょう。求められるのは、科学性よりも納得性またはユニークな論拠です。
このあたりは、文章を書く目的によっても違ってくるはずです。僕の場合は、自分の体験を交えたビジネス関連の文章を書きたいと考えています。地域企業及びそこで働く人々はどうあるべきか、地域をどのように豊かにするか、自社の魅力をどのように高めていくか・・・といった内容です。それをエビデンスとともに伝えていく。
エビデンスには3種類あると思います。
1.客観的なデータ
2.権威ある人物や文献からの引用
3.相似形
信憑性という点では、1、2、3の順番といえます。データがでたらめでない限り、説得力のあるメッセージを伝えることができる。
しかし、客観データというものは、正直言って「つまらない」。似たようなデータが繰り返し出たら、僕は読み飛ばしてしまうでしょうね。読みたくなる文章を書くにはデータに依存すべきではないのです(研究論文といったものは別)。
格調高く文章を書くには、権威ある人物や文献からの引用が効果的です。「ドラッカーは・・・」とか「シュンペーターの経済発展の理論によると・・・」といったエビデンスを挿入すると、いかにももっともらしく感じられるものです。ここで注意すべきは、読み手が納得するような人物・文献から引用することですね。僕の著書「激訳・経営指針成文化」から引用したりするのは、かなりデンジャラスといえます(おもしろい実験ではありますが)。
さて、今回もっともお勧めしたいのが、実は「相似形」なんですね。「互いに相似の関係にある図形」というのが相似形ですが、これは図形だけには限りません。自分の人生の中にも社歴の中にも世の中にも、相似形は山のように隠されています。
「過去に起こったAと現在進行中のBは似ている」。そんな相似形を発見したとすれば、Bの結果をある程度予測することができるかもしれません。仮説を立て、対策を練ることによって、Aの結果よりも好ましい結果に導くことができる。そうした相似形の活用は、きっとどの会社でも行われていることでしょう。
写真家的文章作成技法における相似形の活用では、視覚的なおもしろさやユニークな視点を重視します。
僕の文章の中には、まったくもってくだらないと思えるダジャレが挿入されています。これは言葉の相似形。語感が近いという以上の意味はありませんが、無意味に思える相似形であっても、それを読むことで読み手はイメージを広げることができる。韻を踏むことでリズムが生まれるように、ダジャレの場合は勝手にイメージが広がるのです。ある種、無責任と思えるような文章展開が読み手の理解を助けることがある。僕はそんなふうに考えています。
相似形を真面目に提示する場合ももちろんあります。明治、戦後、今日の相似形や共通項を見つけ出そうと思ったら、いろいろ出てきそうです。そうして、今は70年周期でやってくる歴史的転換点なのだ・・・といった文章を書くこともできるでしょう。
僕はときどき異業種と印刷業の相似形を見つけ出そうとすることがあります。建設業と印刷業。けっこう似ていますね。昨日聴いた講演は靴の製造業でした。下駄の製造から靴への業態転換。非常に示唆に富んだ話。いくつも相似形を発見することができます。
相似形はほとんど無尽蔵といってよいほど、この世の中に隠されています。自分が発見した相似形を文章の中に挿入し、自説をユニークなものにする。ここに魅力的な文章の秘訣があるのではないかと思います。
そのためには世の中をぼんやり眺めるのではなく、写真を撮るように、目の前の風景を脳裏に焼き付けることです。別な場所で見た風景と今見える風景との間に、何かしらの相似形があるのではないか? そうやって風景を分析的に見ることができれば、必ずといってよいほど発見があり、ユニークなエビデンスにつながっていくことでしょう。
あ、今回のタイトルの意味について書き忘れていました。西郷隆盛の「児孫の為に美田を買わず」の美田。価値のある事実(美田)よりもエビデンスのユニークさが文章には求められるのです。事実は必要不可欠ではあるものの、ありすぎると困ったことになる。読み手が消化不良を起こすのです。ユニークなエビデンスには整腸作用があると思ってください(本当かな?)。ではまた明日。