
おはようございます。
昨日は釧路で開催されている「人材確保セミナー」の第2回目。「魅力ある企業は経営計画がしっかりしている」というテーマで話をさせていただきました。我が社の経営計画がしっかりしているとういう意味ではありません。まだまだ至らないことを承知の上、今回のセミナーの趣旨に沿って講義を行っただけ。話ながら「我が社の計画ももっと精度を高めねば・・・」と痛感しました。
特に人生100年時代に見合った働き方、職場環境の改善。ここですね。もちろん、会社だけではなく、当然個人も人生のあり方を見直さねばなりません。女性も男性もテーマを持って仕事をする。と同時に、夫婦、家族のあり方も建設的なものに変えていくべきではないかと思います。共に過ごす時間が人生80年時代に比べると20年も長くなるのです。
家事をパートナーに任せっきり・・・。そんな人は人生100年時代ではきっと見捨てられてしまうことになるでしょう。夫婦間では家事全般、掃除も洗濯も料理もシェアすべきですね。家事をまったくやらないパートナーを選んでしまった・・・。それはハッキリ言って、選択ミス。選び直すか、しっかり指導するかのどちらか、早い段階で意思決定すべきでしょう。女性にとって夫の指導はさほど難しいものではありません(許容範囲内の夫であれば)。
おっと、今日のテーマからずいぶん外れてしまいました。本題は「相似選択」でした。
「似ている」と感じるのには訳がある
僕は掃除がとっても苦手な人間なのですが、相似形を探すのは好きなほうです。写真の道に進んだ人の場合、ほとんどそうじゃないかと思います。
空を見上げて「ソフトクリームみたいな雲」と思ったりする・・・。これは子供も大人も同じこと。大人が子供と若干異なっているのは、理性的に相似形を見つける能力を持っていること。そして、そこからユニークな解釈を導き出すことができるという点にあるでしょう。「似ている」というだけでは終わらないのです。
「AとBが似ている」という発見から仮説を立てる。ここに相似形のおもしろさがあります。仮説を立ててから相似形を発見する場合と、相似形の発見から仮説を立てる場合とがあります。
「犬と飼い主は顔が似ている」。よくいわれることだが、これは自分に似た部分を持つ動物に好意を抱くからではなかろうか? であれば、猫的な性質を持つ人は猫を選び、トカゲ的な性質を持つ人はトカゲをペットに選ぶに違いない。実際、僕は爬虫類や両生類のペットを飼っている人が爬虫類的、両生類的な顔つきになっている姿を何度も目撃してきた。
こんな文章展開もありでしょう。ここからさらに仮説を発展させることも可能です。
ならば、ペットではなく、その人の仕事にも「顔が似る」という現象が当てはまるかもしれない。事実、僕は長年の取材を通じて、そんな事例に数え切れないくらい出合ってきた。農家の人を取材すると、その人の顔が作物とそっくりだったり、陶芸家の人を取材すると焼き物のような顔つきだったり、木工作家の人を取材するとその人の肌質が木目のようだったり感じられることがある。だが、そこでハタと僕は気がついた。相似形に気をとられるあまり、最初から「似ているだろう」という先入観で人や作品を見ていたのだ・・・。
あ、ここに書いた文章はあくまでもフィクションですから、気を悪くされないようお願いします。ただ、この道30年、40年という人であれば、どこかしら「この道」が顔つきや身体の一部に現れるものだと思います。ちなみに、僕の場合は「社長だと思われる」ことは滅多にありません。この道一筋ではないため、中途半端な顔つきなのでしょう。
文章執筆における相似形のおもしろいところは、文章内の相似形だけでは終わらないというところです。これは写真にも当てはまりますね。ずいぶん昔に行った個展の会場で、僕の作品を見て「上空から撮った写真みたい」と感想を語った人がいました。木の枝をシルエット的に撮った写真でしたが、枝が平野を流れる川のように思えたのです。確かに、そのようにも見える。撮った本人が気づかない相似形を第三者が指摘してくれることがある。ここがおもしろい。
文章においても、読み手が自らの経験や知識と照らし合わせて、自分独自の相似形を発見してくれることがあるのです。そうなると、自分の文章、自分の作品でありながら、別な意味、別な価値が存在することになる。
僕は、あらゆる創作物はそうあるべきなのではないかと考えています。一通りの解釈しかできないような作品にはさほど意味を感じない。事実を伝えるだけでは終わらない文章。写真家的文章作成技法によって、ぜひそうした文章作成技術を身につけていただきたいと願っています。
昨日お伝えしたように、自分の身の回りには無数の相似形が隠されています。その中からある相似形に気づく。たまたま、偶然気づいたものなのか、それとも偶然には何らかの意味があるのか? 僕はきっと意味があるだろうと思っているんですね。無意識的にではあっても、自分にとって意味ある相似形を選択しているのです。そうじゃなければ説明できないような重大な偶然が多い。人生の節目にやってくる不思議な相似形を読み解いて、お互い豊かな人生を切り開いていきましょう。
写真家的文章作成技法はここで一区切りとさせていただきます。加筆、修正、再構成し、近いうちに文庫本としてまとめてみようと思います。明日以降は、文章作成技法に関連する別シリーズを展開する予定です。お楽しみに。