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第11回 自然光かストロボか

第11回 自然光かストロボか

おはようございます。
 午前11時、札幌市内で取材。ふだんとは異なる機材。だが、思ったより撮りやすかった。午後は千歳で取材2件。空港のバックヤードに入るのは初めての経験。人物撮影では光のまわり具合が気になる。千歳の後半は、ある高名な写真家の取材。学生時代から名前も作品もよく知っている。不思議な感じがした。5時頃取材終了。
 この時点で、僕は大いなる勘違いをしていたことに気づいていなかった。勘違いは前日10日朝から始まっていた。ようやく状況がわかったのは午後6時頃、道東道を走っているときのこと。1時間近く考え続けた結果、ひとつの結論にたどり着いたのだった。急いで帯広に戻り、何とか間に合った。自分の音声認識能力を疑うような出来事だった。

ストロボを使う3つの理由

取材現場でストロボを使う機会がめっきり減りました。使うとすれば料理と商品写真。あとは一部の人物写真くらいでしょうか。20年くらい前までは、室内写真でもストロボを使うことがありました。大型ストロボ多灯発光。今では考えられないほど手間がかかる撮影もあった。本当にデジカメの時代になってよかったと思っています。
 ストロボを使わなくなったのはデジカメの進歩によるところが大きいのですが、もちろん他にも理由があります。「できるだけ自然光で撮影したい」。自然光と人工光とでは写真の意味が違ってくるのです。人工光の場合は、どれだけ自然に見せても作為的になってしまいます。それを自然に見せるのがプロの腕といえるのかもしれませんが、本当の自然のほうがよいというのが僕の考え方。
 2004年、雑誌スロウが創刊されると、僕は料理写真でもストロボを使わなくなりました。かなり無理をして自然光で撮っていた。無理をした自然光。これは「自然」とは言えないのではないか? そう思い直してからは、ストロボも使うようになりました。今はできるだけ自然光、ときどきストロボといった自然体で撮影するようにしています。
 ストロボ撮影する理由は通常3つあります。
 ひとつは自然光だと光量不足になってしまう撮影状況の場合。フィルムカメラ時代には高感度フィルムを使い、必要に応じて増感現像も行いました。それでもISO3200くらいが限界だったでしょうか。粒子が荒れてそれ以上は使い物にならなかった。デジカメ時代の今は6400でも十分使える画質。
 ふたつ目はライティング上の問題。料理写真でストロボを使うのは、光量不足ではなく、ライティングの都合上ということになります。料理のライティングは半逆光が基本。逆光が入らないとおいしそうな写真にはなりません。これを自然光で再現するには、日中に窓際で撮るといった手法が使われるわけですが、そういう好条件に恵まれることは少ないもの。したがって、料理写真ではストロボが欠かせません。
 最後の理由はホワイトバランスの問題。このホワイトバランスという言葉、フィルム時代にも使っていましたっけ? 僕には記憶がありません。デジカメになってからいつの間にか使われるようになったような気がします。ストロボの光は太陽光とほぼ同じ。ですから、正確な色を再現するにはストロボを使うのが一番ということになります。今も商品撮影ではストロボを使います。

自然か不自然か

デジタルカメラになってから、このホワイトバランスがずいぶん合わせやすくなりました。たとえば、その昔、貸スタジオで商品撮影すると、レフ板がちょっと黄ばんでいるようなことがありました(安いスタジオだったからかな?)。そんなレフを使うと、当然色がおかしくなる。
 カラーメーターで測って、適切なフィルターを使うことになります。角形の色温度変換フィルターと色補正フィルター。これをたくさん用意しておき、測定値にしたがって使用する。非常に面倒な作業が撮影現場では行われていました。
 今はフィルターではなく、カメラの設定で色補正が可能となっています。もう10数年間、僕はフィルターを使っていません。便利になったものです。
 ただし、気をつけないと色温度や色補正の意味がわからなくなってしまうかもしれません。カメラのホワイトバランスを「オート」に設定してしまうと、何でもかんでもデイライトになってしまいます。むりやり色補正された写真は、極めて不自然なものとなる。
 基本は「デイライト」に設定しておき、必要に応じてマニュアルで調整することが多い。厳密な撮影の場合、カラーチャートを一緒に写し込むといった手法も使いますが、こういう撮影は年に一度あるかないか(僕の場合)。
 機械が進歩して便利になりすぎると、「意味がわからなくなる」という副作用が生じることがあります。意味がわかっていてオートで使う分にはよいのですが、意味がわからなくなると表現の幅が狭くなってしまう。これは写真だけではなく、他のジャンルにも言えることでしょう。
 昔は「人工光を駆使して、いかに自然に見せるか」がひとつの技術でした。今は人工光を使わなくても自然に見せることができる。HDR(ハイダイナミックレンジ)を使えば、不自然なまでに自然光での撮影領域が広がる。
 「被写体を作り込まない」という僕の撮影基本方針に当てはめると、デジタルカメラは非常にありがたいもの。しかし、カメラの機能を使いこなすのではなく、「カメラの機能に使われている自分」を発見することがあります。撮影者は自分なのかカメラなのか? 一瞬わからなくなることがある。
 写真表現は「選択の連続」。その選択は撮影者の意思によって行われるべきでしょう。選択権を放棄すると、自分の写真ではなくなってしまうような気がします。 

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