
(c) Atsushi Takahara
おはようございます。
朝、数年ぶりに大学時代の友人と再会。撮影の仕事で十勝に来ているとのこと。写真学科で今も写真の仕事をしている人は、いったいどのくらいいるのだろう? 午後はクナウこぞう文庫新刊の制作。だいたい形がまとまった。6時半から経営指針研究会Aグループ第8講。SWOT分析。みんな熱心に分析している。ディスカッションが盛り上がる。
フィルムとデジタルの違い
僕は2000年春まで、作品制作はモノクロで行っていました。カラーで撮るのは仕事の写真だけ。35ミリカメラと6×9ホルダーにはリバーサルフィルム(カラー)、ペンタックス67と6×6二眼レフ、それに4×5ホルダーにはモノクロフィルムを詰めていました。カラー、モノクロ兼用のカメラは、4×5のフィールドカメラのみ。これだけは仕事用にも作品用にも使用していた。他はほぼ完璧に仕事用カメラと作品用カメラを使い分けていた。仕事も作品制作も僕にとっては大事な活動ですが、両者が混じり合うと純粋性が損なわれるような気がしたのです。
今はそのような気持ちはありません。両者の境界線が非常に曖昧になっている。仕事用に撮ったものが作品になる。これは写真展や写真集のための作品をカラーで制作するようになったからかもしれません。
デジタル写真のいいところは、いとも簡単にカラー写真をモノクロに変換できるという点。フィルム写真の頃は、フィルムをカラーにするかモノクロにするか選択せねばなりませんでした。今はカラーで撮っておき、必要に応じてモノクロに変換すればよい……。
原理的にはそのようなことになるわけですが、僕の頭と体はまだデジタル写真に十分なじんでいません。モノクロフィルムを装填して写真を撮ると、被写体がモノクロームに見える……というのが大袈裟かな? とはいえ、頭の中で瞬時にモノクロに変換され、写真の仕上がりをイメージすることができる。長年、そういう撮り方をしてきたのです。
ところが、カラーで撮っておいてフォトショップでモノクロに変換するようになると、撮影時には「カラーの仕上がりイメージ」を持っていることになります。モノクロ写真として撮影するのと、カラーで撮影して後日モノクロに変換するのとでは、どこかに決定的な違いがあるのではなかろうか?
ここでも、僕は純粋性が損なわれているような気持ちにとらわれることがあります。
モノクロフィルムにもさまざまな種類があり、僕はイルフォードFP4やHP5をよく使っていました。これをD96かD76(1:1希釈)で現像する。1990年代半ばには、仕事が忙しくなると、イルフォードXP2を多用するようになりました。これはネガカラーで現像できるモノクロフィルム。ちょっと邪道っぽいフィルムではありますが、このフィルムがあったおかげで、モノクロ作品制作を続けることができた。それぞれのフィルムには特性があり、撮影時から仕上がりをイメージしていました。
「気持ちの問題」か?
デジカメ、デジタル写真の時代に入ると、「何でもあり」の世界になってしまいました。モノクロに変換し、コントラストを自在に操ったり、粒子を強調することもできる。その昔、暗室内でイルフォードのマルチグレードを使ってコントラストを調整していたのが嘘のような簡単さ。10年ほどの間に、写真の制作環境は激変しました。フィルムも現像タンクも引伸し機も不要となった。学生時代から20年積み重ねてきた技術は、ほぼ使えないものとなった。
そのことにちょっと残念な気持ちはあるものの、暗室で行っていたことをパソコンでできてしまうというのは、素晴らしいことに思えます。暗室から「明室」に変わったことで、僕の性格もたぶん明るくなった。これはひとつのよい変化といえます。
そして、今はまだ慣れていないのですが、やがて「モノクロ写真をイメージしたカラー撮影」ができるようになるでしょう。そのやり方も少しだけわかってきました。
モノクロフィルム撮影で行っていた作業の一部をフォトショップで行えばよいのだということ。フォトショップにも現像ソフトにもモノクロフィルターの機能があります。フィルムカメラでは、撮影時にオレンジとかグリーンとか、被写体や撮影意図によって選択するわけですが、デジタル写真の場合は後処理ができる。安易すぎる……という気持ちをこらえることができれば、ものすごく便利な機能といえます。
デジタル写真時代におけるモノクロ写真制作は、「自分の気持ちをどのように静めるか」にかかっているのかもしれません。苦労して身につけた技術を手放し、便利なデジタル加工に頼り切る。その後ろめたさ。あるいは過去の自分に対する背信行為(?)。そんな気持ちを感じつつも、今使うことのできる便利な機能を積極的に使っていくことが求められる。このような気持ちはデジタルネイティブな人たちには理解できないでしょう。その分、同じデジタル技術を使ったとしても、きっと異なる表現、異なる味わいになるのではないかと思います。
モノクロ銀塩写真は今も素晴らしい。プリントを完成形とするならば、デジタル写真は銀塩には及ばない。とはいえ、かつてのように印画紙が自由に手に入らない今となっては、銀塩でさらなる高みを目指すのは不可能と考えるべきでしょう。僕の目には、モノクロデジタル写真も十分美しいと思えるレベル。あとは、自分の制作時の気持ちの持ち方でしょうか。
たぶん、来年あたりから本格的にモノクロ作品の制作に取り組ことになるでしょう。
