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第16回 過去志向の写真

第16回 過去志向の写真

こんばんは。
 明日は早朝から取材予定が入っているため、夜書くことにしました。約半日、自宅で仕事。夕方札幌へ。宿のまわりに飲食店らしきものはなく、セイコーマートで夕食と朝食を購入。

未来志向と過去志向

僕は昔から自覚しているのですが、シャッターチャンスを逃すことが多い。スポーツ写真や動物写真はハッキリ言って不得意です。スナップショットも撮るには撮るのですが、得意だと思ったことはありません。タイミングがずれてたまたまうまく撮れていることがある。
 苦手な理由は運動神経、反射神経にあると思っていたのですが、どうやらそうではないような気がしてきました。ある動物写真家の取材のとき、「動物が次にどのような行動をするのか予測できる」というような話が出てきたのです。動きを予測できれば、シャッターを押す準備ができる。チャンスを逃さないというわけです。
 一方、僕のほうはというと、人間にしても動物にしても、動きを予測するということがありません。必然的にチャンスを逃す。さすがに陸上競技のようにまっすぐ走るようなスポーツであれば、チャンスを捉えることはできるのですが、予測困難な競技や動物の動きなどはまったくわかりません。
 写真の仕事をしているとはいっても、何でも撮れるというわけではない。得手不得手があるものです。僕の得意なものと言えば、「ほとんど動かない被写体」ということになります。その代表格は風景写真ということになるでしょう。
 で、僕はハタと理解したのです。意識を向ける方向がスポーツ、動物写真と風景写真とでは正反対なのではなかろうか? 人によって捉え方は異なるでしょうが、僕の考えるところでは、前者は未来志向、後者は過去志向だと思うのです。
 これからどのように目の前の光景が変化していくのか? 近未来を予測するのがスポーツであり、動物写真でしょう。近未来を予測するためには、競技や生態を研究する必要がある。僕の場合、こうしたジャンルの写真は専門分野ではありませんから、深く研究することはありません。必要に迫られたとき、多少調べるという程度。とても、専門家に敵うはずはありません。
 風景写真、静物写真、建築写真、あるいは動きのない人物写真といったものは、過去志向になりやすい。不意に動き出す心配はありませんから、撮影しながら自分の中で自由にイメージを広げていくことができる。特に風景、静物、建物の場合は、相手(被写体)に気を使う必要がない。このため、じっくりと見つめて、「なぜここにあるのか」「どうしてこのように見えるのか」といったことを考えることになります。
 10年前はどうだったのか、100年前は、さらにもっと昔はどんな感じだったのだろうか? そうイメージしていくと、目の前の風景と頭の中でイメージする風景との間にギャップが生じる。時間を感じながら写真を撮ることができる。実際の撮影では一瞬の時間を切り取って画像を定着させるわけですが、何100分の1秒というシャッター速度の中に、何10年とか何100年分のイメージを埋め込みながら撮影している。それが写真家の仕事ではないかと思うことがあります。

北海道の圧倒的過去に気づく

今年は「北海道命名150年」ということで、さまざまな記念事業が道内各地で行われています。
 僕が写真を撮るようになった高校時代、帯広の建物はどれも新しく、歴史が浅いように感じていました。僕の撮影スタイルは昔から過去志向でしたから、帯広の街並みにはあまり魅力を感じることができずにいました。京都や奈良だったら、もっと魅力的な写真が撮れるはず……。そんなふうに思い込んでいたのです。
 実際、大学進学で大阪に住むようになると、当時の僕にとって関西の地は被写体の宝庫でした。どこへ行っても古いものや歴史のある風景が広がっている。近所には古代史の舞台がある。だからといって、歴史を感じさせる風景を撮っていたわけではないのですが、1000年以上の歴史を感じながら撮影することができた。
 社会人になって東京に住むようになると、関西ほどテンションの上がる撮影場所は少なく、僕の過去志向は数10年単位のものとなりました。撮影意欲が湧かないときには、何かエネルギーを感じるような場所を訪ね歩いて撮っていました。今考えると、首都圏にも刺激的な場所が多かった。
 北海道にUターンすると、「自然写真に近い風景写真しかないだろうな……」と思っていました。自然写真と風景写真は別物ですが、その話は過去に書いたような気がするので割愛します。
 北海道の美しい自然をできるだけそのまま撮るようにしよう。そう考えて撮り始めたのが2003年年末のこと。しばらく撮ってみて、次第に自分の中で誤解が解けていくのがわかりました。
 北海道命名150年(当時は140年)といっても、それは北海道の歴史のすべてではないわけです。当たり前の話ですが。それ以前から人が生活を営んでいたし、土器も石器も出土している。僕がちゃんとイメージすることができないだけであって、実際には何100年、何1000年も前から人がいた。仮に、人がいなかったとしても目の前に広がる風景は、はるか大昔からここに存在し続けてきた。その大昔の姿をイメージしながら撮ると、「歴史が浅いように感じる」という僕の誤解は薄れていくことになりました。
 高校時代には感じられなかった北海道の風景の魅力に気づくようになり、見慣れた風景からも、太古からの時間の経過のようなものを感じ取り、カメラを向けたくなるようになっていった。
 なぜ、目の前にこのような風景が広がっているのか? それと同時に、「なぜ、自分は今この場所に立っているのか」について考えるようになっていきました。現在「北海道」と呼ばれるようになったこの場所の圧倒的過去に比べると、僕の人生の時間はほんの一瞬。圧倒的過去からの時間を考えれば、人生はシャッター速度の数100分の1秒ですらありません。しかし、その一瞬の中にも意味がある。僕の撮影スタイルは、今後もずっと過去志向のままであるような気がします。

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