
おはようございます。
昨日は釧路方面で風景を撮影。少しずつ新しい機材に手がなじんできた。天気がいい。雌阿寒岳の噴煙が見えた。
アートディレクションの必要性
雑誌づくりでは、通常アートディレクターという立場の人がいて、雑誌全体のビジュアル面を統括しています。編集長は雑誌全体に権限が及びますが、アートディレクターはデザインやビジュアル面に責任を持つ。デザイナーやフォトグラファーはアートディレクターに従わなければならないということになっています(たぶん)。
「たぶん」と書いたのは、当社にはアートディレクターがいないため。人材募集もしていません。アートディレクションの重要性は理解していますが、アートディレクター職の必要性は現時点では感じていない。出版、広告部門の仕事の広がり具合によっては、将来的に必要となるかもしれません。
ただ、どうなのでしょう? 僕としては、クリエイティブ系の職種の人たち一人ひとりの個性と自主性を尊重したいという気持ちが強い。少人数の組織ですから、アートディレクターを置かなくても、ある程度のディレクションはできるのではないかと考えています。
スロウ創刊当時、デザイン面のさまざまな決めごとは編集部全体で行っていきました。使用するフォントや色、文字組み、基本デザインといったようなこと。今考えると、ずいぶん民主的な決め方だったのではないかと思います。イメージが共有されていれば、民主的な決め方ができるものです。逆に共有されていない場合、民主主義は非常に効率の悪い意思決定方法となる。
戦後の日本はよくも悪くも民主主義社会として70年以上続けてきました。経済的に発展し、全体としては戦中・戦前よりもはるかによい世の中になっている。しかし、民主主義にはさまざまな弱点や欠陥があることもよく知られています。「なかなか意思決定できない」というのも、民主主義の持つ弱点のひとつでしょう。
社会全体は民主主義(または民主主義的)であるべきですが、経済活動を行う企業の場合、組織内で民主主義は成り立ちにくいものです。速やかな意思決定が求められるし、必ずしも合議制がよい意思決定方法とはいえないもの。したがって、ほとんどの会社では組織の責任者(部門の場合は部門長、会社全体の場合は社長)が意思決定を行う。責任を負う代わりに、意思決定権を持っているわけです。
月刊しゅんにせよ、スロウにせよ、雑誌媒体の場合は編集長に意思決定権があります。いちいち合議制で物事を決めていたら、仕事が進まなくなる。みんなの意見を参考にしつつ、責任者が意思決定する。たいていの組織では、そのように物事が決められているはず。
ですから、我が社の雑誌づくりにおけるアートディレクションについても、いつかはアートディレクター的な立場の人が必要となるのかもしれません。今は個性と自主性を尊重しつつ、全体としてのバランスが保たれるよう「理念とイメージの共有」を図っていくのがよいと考えています。
民主主義を超える意思決定法
会社組織の場合は、民主主義とトップダウンを併用しながらその会社らしい事業展開を進めていくことが可能です。一方、ちょっと難しいだろうなと思うのは、まちづくり、地域づくりのほうです。
日本全国、どこへ行っても同じような町並みになってきている。三浦展氏は「ファスト風土化」(地方の郊外化の波によって日本の風景が均一化し、地域の独自性が失われていく)と呼んでいますが、トップダウン的に物事を進めにくいまちづくりでは、魅力ある町並みを築いていくのは相当難度が高いのではないかと思います。
昔の町並みが残っていて魅力的だと感じるのは、その昔、為政者が絶対的権限を持っていたからに違いありません。都市計画だけではなく、建物の様式もそうですし、職種別に住む場所も決められていた。自分の頭に描いた通りにまちづくりすることができたわけです。
ただ、町並みは魅力的になったとしても、そのような世の中を望む人はいないでしょう。アートディレクションができていない町並みであっても、自分の住む国、地域は民主主義であってほしいと、大部分の人は思っているはず。だから、景観にマッチしていない建物があっても、仕方ないかな……と思ってしまいます。
美しいまちづくりという点で弱点の多い民主主義ではあっても、ファスト風土化はできるだけ食い止めるべきではないか。僕はそう考えています。ファスト風土化が進むということは、大手チェーンが地域の中でシェアを伸ばしているということですから、地元中小企業(特に小売・飲食店)の衰退を招くことになる。そう単純な図式ではないにしろ、地域の発展を考えると、バランスが求められる。無秩序なファスト風土化は避けたいものです。
自由主義経済とか民主主義といったものは、考え方として間違っていないだけに、扱い方、運用の仕方を間違えてしまうと、困った方向へ向かってしまうことがあるものです。僕は、そのひとつが「町並みの美しさの喪失」ではないかと思っています。
その解決法は民主主義以上に民主主義的な意思決定方法を見いだすことでしょう。それは何なのかと問われると、どうも曖昧な答しか出てきません。個人や個々の企業の損得を超えて、地域全体のことを考える。そのあたりに出発点があるでしょう。戦前や中世の世の中では、為政者が人々に全体主義を強要していたわけですが、新しい時代では、一人ひとりが主体的に社会全体のことを考えるようになる。
道内各地を取材していくと、そうしたムーブメントを発見することがあります。これから民主主義の弱点を乗り越えた町並みが形成されていくのではないか、と期待しています。