
おはようございます。
午前9時から江別で取材。昼からは栗山。いつもの撮影に加え、作品の複写をする必要があった。平面作品の場合、技術的には難しいものではない。しかし、撮影場所によっては困難を極める。ガラス越しの場合はなおさら。
取材は興味深いものとなった。どんな作家、アーティストでも、自身の作風が誕生するには必然性がある。偶然そうなったという場合もあるだろうが、後で振り返ってみると必然だったと思えるもの。偶然や幸運には理由がある。話を聴きながら、さまざまなイメージが頭に浮かんだ。
取材の興味をさらにかき立てたのは、紙を素材とする平面作品であったこと。その紙も印刷会社にとってなじみのあるもの。印刷会社は印刷用紙として使うが、アーティストにとっては作品の素材となる。紙にはさまざまな可能性がある。印刷表現はそのうちのひとつに過ぎない。
アートは企業になじむか?
今回のテーマ「アート」は我が社の事業というわけではありません。けれども、もう一歩踏み込めばアートの領域になる。過去、我が社にはその領域に踏み込む直前、ドアノブに手をかけるというところまでいった人物が何名かいました。僕もそのうちのひとりといってよいかもしれません。個展開催は僕個人の活動ですが、これが我が社の活動となればアート事業ということになる。
ソーゴー印刷は経済活動を行う民間企業であるため、アートの領域に足を踏み込むことに躊躇するところがあります。これは会社として躊躇するというよりも、その前に社員が躊躇することが多い。自分の趣味を仕事現場に持ち込んでよいのだろうか? 会社の中で好きなことに熱中してよいのだろうか? そもそもこれが経済活動になるのだろうか? さまざまな葛藤があって、最終的にはプライベートタイムを使って行う趣味的活動というところに落ち着くことが多い。
趣味的活動でもよいのですが、そうした中には実に惜しいものがあります。これを我が社の商品にすればよいのに……と思うものがときどきあるのです。2、3年に1回、そうしたものを目にすることがある。そして、僕は実際に商品化を勧めるようにしています。しかし、今のところ商品にはなっていない。これは自社に対するイメージが、まだまだ「普通の印刷会社」だからなのかもしれません。もっと突き抜けた企業イメージを創造していく必要がある。僕自身、突き抜けた活動を行っていくべきなのでしょう。
個人のアーティストの場合は、活動費や生活費を捻出することに苦労することとなる。名前や作品が売れるまでは、バイトをしたり、家族に支えられたりする。その後は企業がスポンサーになったり、作品そのものが売れることにより、経済的に自立していく。
しかし、そうなることのできる人はほんのひと握り。写真家の場合、生活のために自分の表現分野とは異なる写真を撮っている人が多いでしょう。作品制作一本で活動できる人は非常に少ない。
これには日本のアート市場が小さいという理由もありそうです。規模でいえば、アメリカの1/10弱といったところ。ただ、コレクターは増えているようなので、今後に期待したいところです。
アーティスティック経営
我が社は印刷会社ですから、作品そのものというよりも、作品集など複製を前提としたアート関連の市場を開拓したいという気持ちが強い。
最終的な表現形態をどうするのか? これは個々のアーティストの考え方次第。僕の場合は個展(写真展)を最終形態と考える一方、写真集も自分の作品であるという意識が強い。
自己表現の手段が「文章」という人の多くは、本が最終形態となるでしょう。音楽家の場合は演奏会とCD(今はハイレゾ?)、どちらも作品といえます。複製になじまない表現手段もあります。絵画や彫刻といったもの。この場合、作品集は単なる図録でしかありません。
こうした違いはさておき、ここ数10年の間に、アートはずいぶん身近な存在となってきています。アートそのものがボーダレスになってきたという理由もあるでしょう。広告との境目も趣味との境目も曖昧。無理に境界をハッキリさせる必要もありませんから、いつの間にか自然に僕らの生活の中にアート的なものが組み込まれいてる。
ただ、僕の認識ではアート的なものとアートそのものとは、やはり別物だと思うんですね。アート的なものは外的要因(これが売れるとか、受けそうといった理由)から生み出される。一方、アートそのものは内的要因から誕生します。アーティストの中にはその要因を言葉で説明できない人もいます。「何だかわからないけれどできてしまった」といった説明の仕方になる。この「わからない」というところが重要です。わからないけれども、生み出さずにはおられなかった。外形上はボーダレスに見えても、たぶん見る人が見れば違いがわかる。そこがおもしろいところかもしれません。
我が社にはアートの領域に踏み込もうかどうしようか迷っている人がいます(僕の見間違いという可能性もある)。踏み込んだら戻ってこれない……。そんな誤解をしているのかもしれません。
出版などの複製物にしろ、一点ものの作品にしろ、比較的自由に表現活動ができるような会社にしていきたいと僕は考えています。もちろん、好き勝手にというわけではなく、会社や部署の了解があってのこと。事業活動としてのアートに僕は大いに期待しているところです。
アートは突然変異のようなもの。見る人の価値観を変えたり、事業活動に革新をもたらしたりする可能性を秘めています。
さまざまな研修に通っていた頃、よく「科学的経営」という言葉を耳にしました。ところが、今の時代「科学」は行き詰まっているように見えることがあります。これからは「アーティスティック経営」の時代だな……。勝手ながら、僕はそう思い込んでいます。
