file 26 動画

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おはようございます。
 昨日は「文章」ではなく、「文書」を作成することに時間を費やしてしまった。原稿執筆の進み具合は30%といったところ。どこかで時間を捻出する必要がある。夕方、2件のミーティングが予定されていたが、ひとつはキャンセルとなった。6時から印刷工業組合理事会と忘年会。来年に向けて、ひとつ提案させていただいた。

デジタルネイティブ世代の感性

SNSの時代になり、コミュニケーションはものすごく活発になっているわけですが、一方ではコミュニケーション不足に悩むことも多い。そう感じることはありませんか? 僕はしょっちゅうです。すぐそばに座っている人に「今話しかけてよいだろうか?」と躊躇することもありますし、相談を持ちかけようと思っても、別な人と話し込んでいて割り込めないことが多い。そんな理由から、ついメールやメッセンジャーを使ってしまうことになる。
 実際、僕のほうもメール、メッセンジャーで伝えられるほうがありがたいと思うことがあります。これは「忘れっぽいから」という単純な理由。相手にとっては面倒かもしれませんが、言葉+メールが一番確実な伝達法。
 これと同じようなことが広告や広報の世界でも起こっているような気がします。単純に広告を載せたから効果が上がるという時代ではなくなってきている。複数のコミュニケーションツールを使うことで、ようやく消費者や見込客に伝わっていく。複数のツールの組み合わせ方や、メッセージの中身を工夫する必要があるのです。
 今さら……という気がしないでもありませんが、今朝になって「コミュニケーション新時代がやってきた」と実感しました。
 どうしてそう感じたのだろう? 昨日の記憶をたどってみると、そう感じさせるような出来事がありました。それはある若手社員の映像作品を見ながら感じていたのです。こういう表現はたぶん僕にはできないだろうな……。これは今の時代を20代として生きているからこそできることなのではなかろうか? 映像から伝わってくる空気感が、ちょっとというか、だいぶ異なるのです。30年前、20代だったときの僕ともずいぶん違っているような気がします。
 空気感の表現の仕方には個人差があって、今の20代に共通のものがあるというわけではありません。しかし、デジタルネイティブ世代だからこそ可能な表現方法というものがあるような気がしてなりません。映像表現に関して、彼らは独特な感性を持っているんですね。そう感じさせる若手社員が社内には何人かいます。
 映像表現における感性は、その人の視覚体験によって形成されるといってよいでしょう。子供の頃から何を見てきたのか? 現実の風景や出来事を見るだけではなく、数多くの映像作品を見てきたわけです。デジタルネイティブ世代であれば、SNSを通じて誰かのつくった動画をたくさん見てきたはず。リアル体験+映像作品からの影響。それが自身の映像表現に表れる。
 社内には映像表現に関わる人が何人もいます。フォトグラファーとは限りません。写真と動画を専門分野としている人は、僕を含めて4名。この他に、デザイナーや編集者の中に優れた感性を持つ人が何人かいます。どちらかというと、専門分野ではない分、作品にはのびのびとしたものを感じさせます。

専門家の存在価値

一方、オーソドックスな表現手法によって、一本の動画作品を制作することのできる専門家が社内にいます。最初はひとりだけ。しかし、技術共有を進めているようなので、スチル写真が専門の人たちも次第に動画を撮影する機会が増えている。「ものを見る」という点ではスチルも動画も同じですから、専門分野の違いはあっても、ある程度のレベルにまで到達するに違いありません。デジタル時代になり、技術的ハードルが低くなった点も大きい。
 ただ、僕は……というと、動画にはなかなか踏み出すことができないんですね。これは性格的な理由から。動画の「カメラをまわしている時間」がまどろっこしく感じてしまうのです。写真を撮る際にも、シャッター速度が速いほうがいいと考えるタイプ。夜でも三脚を立てることは滅多にありません。要はせっかちなんですね。
 そんな僕も動画を撮ってみようと思い始めています。動画と写真を同列に考えるから自分にはなじめなかったのだ、と最近わかってきたのです。スマホで記録写真を撮ることがあります。僕にとって動画とはそのようなツールなのではないか? 表現しようという気持ちを持たず、目の前の風景や出来事をありのまま記録してみよう。そう思って、動画専用の機材を購入してみました。まだちゃんと使っていないので、どのような映像になるのかわかりませんが。
 ジョセフ・ニセフォール・ニエプスが1820年代に発明したとされる写真。発明家ニエプスから始まり、科学者や技術者が写真術を改良していき、写真家や一部の芸術家が写真を表現手段として使うようになった。やがて、報道や広告に使われるようになったり、映画(動画)が誕生することになる。時代が進むにつれ、映像表現の裾野が広がっていきました。デジタル写真時代がやってくる以前から、「誰もが失敗なく写真を撮ることができる」ようになっていたのです。
 デジタル時代になると、加工、編集の自由度が増し、作品の発表の場も爆発的に増えていきました。
 ソーゴー印刷では「写真」「動画」を営業品目としていますが、我が社に発注するまでもなく、自分で撮影し、編集・加工している人も大勢います。その中にはセンスのよい映像も少なくない。そうした映像時代にあって、プロの発注する意味はどこにあるのだろう……と考えることがあります。
 撮影技術は確かにハードルが下がった。しかし、感性と編集力という点では専門家に一日の長がある。映像の裾野が広がった分、映像を見る人の感性も鋭くなってきています。若手のピュアな感性と専門家の熟練した技術、編集力。両者を融合させることで我が社の映像表現力を高められるはず。何か、これまでにないものが生み出されるような気がしています。

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高原淳写真的業務日誌