おはようございます。
昨夜は中小企業家同友会とかち支部経営指針委員会の「新年会」でした。たぶん、世界でもっとも遅く開催された新年会だったでしょう。3年ぶりに我が家で開催。豪華メニュー。デザートまでたどり着くのか心配しましたが、さすが経営指針で鍛えられた委員会メンバー。最後まで完食していました。
経営指針に取り組んだなら、どんなに苦労しても一通り成文化する。仕事でも計画でも、まずは「形にする」ことが大切ですね。
自分史づくりでは、「本の出版」がゴールということになります。長丁場となるので、意欲だけでは出版までたどり着かないと考えるべきでしょう。目標を立て、計画通りに制作を進めていく。そのために、自分史づくりの活動を自分の日常に組み込んでいくことが求められると思います。習慣化できれば案外たやすいもの。
僕の場合は、原稿執筆をブログの中で行うようにしました。2ヵ月あれば無理なく1冊書き上げることができるとわかりました。
ただ、問題となるのは「ストーリー性のある文章かどうか」という点なんですね。事実を羅列するだけなら、さほど苦労することはないはずです(文章力にもよりますが)。しかし、事実が時系列に並んでいるだけの自分史では、読みたいという気持ちにはなりにくいもの。事実そのものにインパクトがある場合は別ですが、やはりストーリー性があってこそ、価値ある自分史となるのではないかと思います。
時系列にこだわりすぎない
ストーリー性のある人生を送りたい・・・。10代の終わり頃、僕はそう考えていました。けれども、自分の思い描くストーリーとは相反するような出来事やアクシデントがいっぱいやってくる・・・。それが人生というものです。
したがって、自分の立てた人生計画がぼんやりしたものだったなら、行き当たりばったりの人生になりやすい。たとえしっかり計画を立てても、その通りにはならない。ただ、「なりたい自分」がはっきりしていると、描いていた道筋とは違っていても、いつの間にか目指すべき方向へ近づいていることがあります。自分の思惑を超えたストーリーというものが存在するのでしょう。
何を言いたいのかというと、自分史の場合、「一貫性のあるストーリー」を描くのは困難だということです。たぶん、偉人レベルの人であっても困難。つまらない失敗をしていたり、人生ビジョンと無関係な活動に力を入れていたりする時期もある。しかし、それが後年の重要な出来事とつながっている・・・。
つながっている出来事とつながっていない出来事。誰もが、両方の出来事を無数に記憶していることでしょう。それらの中からつながりのある出来事を発見し、意味を見いだしていく。それがストーリー化という作業です。
人生すべてに一貫性を持たせるのは困難なものですが、ある一定期間であれば「テーマを持った生き方」をしている人が多いことでしょう。たとえば、「学生時代はサッカーに打ち込んでいた」というような生き方。僕は「小中学校のときは新聞づくり」「高校以降は写真」というのが一大テーマでした。さまざまなものに関心があったはずですが、この時期は「これが一番」というものが誰にでもあるはずです。
ですから、章ごとにテーマを決めて、ストーリー化していくのがよいのではないかと思います。章のタイトルにしてもよさそうですね。「寝ても覚めてもサッカーボールを追いかけた学生時代」とか「人生を変えた写真との出合い【高校編】」とか・・・。
ぴったりのタイトルが決まると、そこからストーリーが浮かんでくるものです。
・どのように写真と出合ったのか
・なぜ写真にはまったのか
・自分の写真作品を見てどう感じたのか
・自分は写真を通じてどう変わったのか
・写真にまつわる当時の事件、エピソード
いくらでも話を展開させることができそうです。第1回でお伝えした通り、「7×7の法則」に沿って、7つの章のタイトル、7つの小見出しを立てると書きやすいわけですが、そこでは自分なりにストーリーを意識しましょう。章のほうはすんなり決まっても、小見出しを決めるのには時間がかかるかもしれません。
自分の人生にはどの時代にも特筆すべき出来事があるのではないかと思います。よい意味でも悪い意味でも、人生テーマに関連する大きな出来事があったはず。それを各章の山場に設定して、その前後をていねいに描いていくと、自然にストーリー化できるのではないかと思います。
わかりやすさを重視するならば、時系列に書き進めていくほうがよいでしょう。けれども、ストーリーを意識するならば、時系列にこだわりすぎないほうがよい。わかりやすさを損なわない範囲であれば、時系列を崩しても差し支えないとお考えください。
ストーリー展開の仕方は実にさまざまあるものです。起承転結でもよいわけですが、この順番を変えることで読み手に強い印象を与えることがあります。
子どもの頃は家業の跡は継がないと心に決めていた。東京で家業とは関係のない仕事に就き、順調なサラリーマン生活を送っていた。しかし、父の急逝によって逃れられない宿命だと悟った。今ではこの生活も悪くないと思っている。
2000年、信じられないことに父が創業した会社の朝礼で入社のあいさつをしている自分がいた。頭はぐらぐらしていた。子どもの頃、家の跡は継がないと固く決心していたからだった。なぜこうなったのか。入社1日目の夜考える。そうか。自分では家業と関係のない仕事を選んだつもりでいたのだが、そこにちょっとしたトリックが仕掛けられていたのだ。
ちなみに、この文章はフィクションです。ですが、「重要な出来事」を起点に過去にさかのぼっていくような書き方をすると、読み手の興味は増すものです。文章の中では、いくらでも現在、過去、大昔の間を行ったり来たりできるわけです。そして、案外、何10年も前のことが現在とつながっていたりする。ここに人生のおもしろみがあるわけで、それを文章にしない手はないと僕は思うのです。