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北海道の仕事と暮らし41 歴史との関わり

北海道の仕事と暮らし41 歴史との関わり

あけましておめでとうございます。
 本年もよろしくお願いいたします。

大晦日は部屋の片付けと買い物。あとはひたすら体を休める。情報をインプットする日……と考えていたが、一日の大半をぼんやり過ごした。20年ぶりくらいにNHKの「ゆく年くる年」を見た。大晦日に夜更かしをしたのも、たぶん10年ぶり。なかなか眠気がやってこない。頭のどこかが活発に働いていたのかもしれない。

新元号になると……

新年なので新しいテーマで書こう……と思っていたのですが、いいタイトルが浮かばなかったので、当面は「北海道の仕事と暮らし」を続けようと思っています。もうひとつの「ソーゴー印刷事業案内」もまだまだ続きます。
 今年は4月で平成が終わり、5月1日から新元号となります。4月1日に公表されるとのこと。ふだんの仕事や暮らしでは西暦を使うことが多いのですが、「平成」という元号に名残惜しさも感じています。以前経営していた会社が平成元年創業だったためかもしれません。
 僕は昭和生まれですから、「昭和」「平成」「新元号」の3つの時代を生きることになります。それがどうした、と思われるかもしれませんが、子供の頃を思い出すと、自分が年寄りになってしまったかのように感じてしまいます。
 僕の祖父母は明治生まれでした。つまり、「明治」「大正」「昭和」を生きてきた人。僕が生まれたのは昭和36年(1961年)。明治元年は1868年ですから、僕が生まれてしばらくの間は「慶応」生まれの人もいたはずです。江戸時代に生まれたという人。僕にとって江戸時代は歴史の中でも少し遠い存在。戦前のことですら学校で学んだり、父母世代の人から聞かなければわからない。なのに、自分が呼吸しているこの瞬間、戦前も大正デモクラシーも自由民権運動も明治維新も知っている(ちゃんと知っているかどうかは別として)人たちも生きている。この事実に気づいたとき、僕はちょっとした驚きを感じたことを覚えています。確か、小学校4年か5年生の頃。
 それから50年近くたち、今度は自分が「明治」生まれのような存在になろうとしている。といっても、昭和は64年まであります。戦前と戦後生まれに大別できますし、戦後生まれであってもいくつかの世代に分けられるでしょう。ですが、平成生まれの人から見ると明らかに旧世代。そして、新元号になってから生まれてくる人たちにとっては、僕が感じた明治生まれの人のように見えることでしょう。
 ここで重要なのは、学校で習う歴史であっても、自分の人生とは決して無関係ではないということ。子供の頃はテストがあるために勉強するという、ちょっと不本意な勉強の仕方を強いられることが多い。このため、「記憶すること」が最重要課題となり、「意味を考える」とか「何かを感じ取る」といったことが後まわしになる傾向にあるのではないかと思います。
 無数といってよい膨大な人数の人生が複雑に折り重なって、歴史がつくられている。教科書等の書物に載っているのは、歴史の中のほんのひとかけらに過ぎません。ですから、教科書に載っている過去の出来事と自分の人生がつながるというケースは少ない。けれども、地域史を学んでいくとつながりを見いだしやすいはず。時間軸によるつながりを見つけることが、重要なのではないかと考えるようになりました。

無数のご先祖様

知っている人も多いと思いますが、自分の先祖をたどっていくと、とんでもない数のご先祖様の存在に気づくこととなります。
 自分には2人の親がいて、2人の親にもそれぞれ2人の親(祖父母)がいる。祖父母にも2人の親が……。そのようにして計算していくと、自分より4代前で16人、8代前には256人、12代前なら4096人ということになります。12代前はたぶん江戸時代。親が25歳で子供を産んだとして計算すると、500年前で自分の先祖は約100万人。1000年前にさかのぼると、約1兆人という信じられない数になる。子供には必ず2人の親がいる。この事実は不変ですから、世代をさかのぼることにとんでもない数になっていくことになります。
 そんなわけで、人はみな歴史上の偉人とつながっているともいえるでしょうし、同時代を生きている他人ともどこかでつながっていると考えるべきでしょう。人類の一員であるというだけで、ほぼ間違いなく血縁関係にあると考えてよいのではないでしょうか?
 そして、もうひとつ考えねばならないことは、無数といってよいほどの先祖の存在があって、自分が今生きているという事実。奇跡的な確率で自分はこの世に生を授けられた。これを偶然と考えるか、奇跡と考えるかによって、人生の意味合いが大きく変わってくるのではないかと思います。冷静に考えると、たまたま生まれてきた自分なのかもしれません。けれども、自分にとっては紛れもなく奇跡と呼べるものではなかろうか? 解釈は自由ですが、どちらかといえば自分の人生の質が高まるような解釈を試みるべきではないかと思います。
 平成生まれの人であっても、いずれ自分も歴史上の人物になるのだと考えるべきでしょう。歴史の教科書に名を残すかどうかは別問題。ですが、歴史上のどこかに自分が存在していたという事実に変わりはありません。何らかの形で次の世代に影響を及ぼすことになる。その影響が好ましいものか好ましくないものか。この違いは大きい。影響力の大小は別として、それぞれ自分の持つ能力を使って、よい影響を周囲にもたらすこと。それが人間としての役割のひとつではないかと思います。今生きている人たちへの影響と次世代の人たちへの影響。両方を考えるべき。
 自分の人生においては「自分」が一番大切な存在かもしれません。けれども、自分の成り立ちを考えると、自分・自社のためだけではない活動が求められる。それは個人の道徳心というよりも、DNAに刻まれているものであるように思えます。

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