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北海道の仕事と暮らし43 推敲する力

北海道の仕事と暮らし43 推敲する力

おはようございます。
 いよいよ「2019年の年頭にあたって」を書き始める。情報のインプット作業は終わっていた。そして、書きたい中身も頭の中ではおおよそ整理がついていた。あとはアウトプットするだけだった。だが、5000字書いたところで行き詰まってしまった。昨日、ブログの中で「文章表現力の問題」と書いたが、僕自身の文章力に問題があるように感じられる。全体に必要とされる文章量は16000字。残り11000字は今日の課題となった。そして、文章の手直しも必要となりそうだ。

校正・推敲するとわかる文章のクセ

どんな仕事もそうですが、最初はなかなかスピードが上がらないものです。16000字というのは、スロウの記事に例えれば3本分の文章量。一気に書き進めるにはちょっと長い文章。したがって、2日間にまたがることは予想していました。頭と心と体の調子が揃っていれば、今日には完成するでしょう。どこかでスピードが上がって、ぐいぐい書き進んでいく瞬間がやってくる。そこまで集中力を維持し続けることが求められます。
 今年は写真、とりわけ風景撮影により多くの時間を使おうと考えている僕ですが、文章を書く時間も昨年同様、多くなるでしょう。削るべき時間は写真、文章、経営に直接関わる時間以外のもの。自分と自社にとって重要な時間を最大限確保しようと思っています。
 毎日書いているブログも自分にとっては重要な時間です。まあ、好き勝手なことを書いていますが、書く内容や文章表現についてはそれなりに注意を払っています。限られた時間の中で書いているため、日本語として若干変な部分が含まれているかもしれません。紙媒体であれば、もっと推敲に時間を使います。ブログの場合は推敲を最小限にし、文章の勢いとか思考の流れを優先させながら2500字前後に収めています。
 ブログを書いていてわかるのは、自分の書く文章には独特のクセがあるということ。そのクセは自分にとってはさほど好ましいものではありません。自分の話している言葉を録音して、後で再生したときのような心地悪さを感じることがあります。ですから、推敲前の文章はあまり他人に見せられるような代物ではありません。
 どんなクセがあるのかというと、同じ言い回しを繰り返すとか、不要な接続詞が多いといったようなもの。たぶん、僕と同じようなタイプの人も多いでしょう。ここで僕は「ような」を2度繰り返しましたが、この「ような」も僕のクセのひとつです。通常、推敲するとどちらかを消し去ることになる。
 情報収集力があり、情報分析力があり、文章表現力もありそうなのに、仕上がった原稿の完成度が今イチという人もいることでしょう。そういう人の最大の問題は「ちゃんと推敲していないこと」ではないかと僕は想像しています。あるいは、推敲する力が不足しているのかもしれません。

プロ意識と忍耐力

推敲とは「文章を何度も練り直すこと」。本来はハイレベルな文章表現の中で行われる作業といえるでしょう。一方、校正のほうは「文字や表現に誤りがないかを確認すること」です。ですから、僕らが入念に行うべきことは校正のほうなのかもしれません。
 僕が毎日書くブログの中でも、校正と推敲の両方を行っています。単純に間違いを直す、不適切な表現を改めるといった校正作業が8割程度占めています。しかし、推敲と呼ぶべき部分もある。それは推敲という言葉の由来となった、唐の詩人賈島(かとう)の故事とは比較にならないレベルではあるでしょう。「推す」と「敲く」のどちらにすべきか迷う……。そうした迷いは僕らの日常の文章表現の中にも確かにあります。
 校正と推敲。書き手がこの作業を怠ると、質の低い文章となってしまいます。仕事として書かれた文章の場合、質が低いと紙媒体に載せるわけにはいきません。誰かが手直ししなければならなくなる。
 これも広い意味では「校正」に含まれるのでしょうが、書き手のプロ意識が欠如している結果として余計な校正作業が増えてしまったとも言えます。この場合、周囲の人が校正するより、本人が更生すべきでしょうね……。
 推敲も書き手本人が行わなければ、本当に適切な文章表現とはなりにくいものです。ですが、本人の力量が不足している場合、他の編集者が推敲を代行するというケースが出てきます。この場合、推敲ではなく、ほとんど推理に近くなる。推か敲かという選択にはならず、理詰めで考えていき、適切な言葉を探し出すことになるのです。
 自分で書いた文章でも、推敲・校正段階に入るとたまに「意味不明な文」と出合うことがあります。ですから、編集者一人ひとりの文章力に大きな差はない、と僕は考えています。差があるとすれば、表現力と忍耐力ではないでしょうか?
 表現力は才能、センスの一種ですから、長い年月をかけて自分の能力を磨いていかねばなりません。一方、忍耐力のほうが心構えと努力によって今すぐ力を発揮することができる。つまり、「質の低い文章を他人の目には触れさせない」と決意すればよいだけ。実践には相応の苦労が伴いますが、決して不可能なことではないでしょう。
 パーソナルメディアが発達し、誰もが情報発信者となる時代。雑誌や書籍で情報発信している僕らとしては、推敲のレベルを上げて、質の高い文章を世に送り出すことが求められています。「情報の中身そのもの」と「文章表現力」。両方が揃ってこそ、メッセージが正しく伝わるのだと思います。
 文章力には個人差があります。スラスラ書ける人もいれば、あちこち引っかかりながら書く人もいる。僕は完全に後者のタイプ。それでも「何とかなる」ということを30数年間実践する中で確信するようになりました。不器用な人でも、やり続けることが大切ですね。その不器用さが文章の味になってくるものです。

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