
おはようございます。
帯広は雪。程よく積もっていた。少し早めに出発。8時50分、帯広空港に到着。9時15分の便で東京へ。午後1時、市ヶ谷。第2回中同協経営労働委員会。ところどころハイレベルな議論があって勉強になった。後半は徳島同友会の事例報告。企業変革支援プログラムSTEP2を活用した経営指針実践の取り組み。これはおもしろい。というよりも、自分でも試してみたくなった。企業変革支援プログラムの改訂作業が始まろうとしているが、これは非常に参考になる事例だと思った。グループ討議では事例報告の感想と各同友会の経営指針成文化・実践運動の現状及び課題について話し合われた。ここでも注目すべき事例があった。自分史の作成がカリキュラムに組み込まれている県もあれば、サポーターに経営指針提出義務を課している県もあった。北海道内各支部の経営指針研究会も実施方法にはそれぞれ特徴がある。他の都府県の事例を参考にレベルアップを図りたいところ。
夕方、新橋で高校時代の同級生A氏と飲む。卒業から39年経つ。誰と再会しても感じることだが、変わらない部分と大きく変わった部分がある。70%くらいは仕事に関する話。これほど熱心に仕事を語る人物になっているとは思わなかった。向こうもそう思っているだろうが……。
どんなに変わっても変わらない何か
全体としてはどんなに変わっても、どこかに変わらない部分があって、その人らしさを感じることがあるものです。だから、40年くらい時間が経過していても、ほとんど違和感を感じることはありません。僕自身も、一部では別人のように変わったと思いますが、本質はさほど変わっていない。自分でも、まったく変わっていないことに驚くことがあります。
企業もたぶん同じでしょう。どんなに社風が変わったとしても、根っこのほうには創業の頃から変わらない何かがある。その「変わらない何か」に後継者は苦しめられることもあるのですが、同時にその会社らしさでもあったりする。
人間、短所はなくならないし、なくすべきではない。感性論哲学の視点を持って考えれば、自社の悩ましい部分も、自社らしさの一部と考えるべきかもしれません。自社の短所が美点に思えるような企業づくりを行っていかねばなりません。
人も企業も長所半分、短所半分でできているのですが、僕らはつい相手に完璧を求めてしまうことがあるものです。入社したての頃は自社のよい部分が目に映る。けれども、半年、1年経つと、今度は自社の欠点が目につくようになっていく……。そういう経験を持つ人は多いことでしょう。
同じ組織、同じ人物、同じ現象であっても、そのプラス面を見るか、マイナス面を見るかによって評価は大きく異なってきます。同じ会社で同じような仕事をしていても、正反対の捉え方をしている人がいることに気づくこともあります。人は感情に動かされやすい。自分で意識して、冷静かつ客観的に物事を捉え直す必要があります。
これは経営者はもちろん、新入社員でもそうあるべき。そして、長所を伸ばすことで、自分らしさ、自社らしさをより好ましいものへと変えていかねばなりません。
A氏も僕も、ずいぶん難点の多い人間だと思いますが、おそらくお互いに、自分の長所を伸ばすことにより多くの時間を費やしてきたはず。「まだまだ全然できていない」。そんな気持ちを抱えながらも、自分の長所を伸ばしながら仕事をするほかありません。「できないからやらない」という選択肢は、社会人にはないのです。
自社のバランスを整えるのが経営指針
本当は好ましくないもの。できれば捨ててしまいたいと思っているのに、ずっと自社にこびりついて離れない社風、企業文化というものがあります。我が社だけではなく、きっとどんな会社にもあることでしょう。
しかし、それが本当になくなったら、同時に自社らしさも損なわれることになるのかもしれません。「困ったなぁ」と思いながらも、それが自分の会社らしさなのだと納得してしまうことがあります。創業から脈々と受け継がれている長所もあれば、決してなくなることのない短所もある。
経営者が意識すべきことは、長所を伸ばすことと短所が気にならなくなるよう工夫することでしょう。感性論哲学では「長所を磨けば短所は人間味になる」ということですが、企業の場合は、これに加えて「工夫すること」と求められると思います。短所のままではずいぶんバランスの悪い組織になってしまう。我が社にもそうしたアンバランスなところがあるのではないか、と僕は認識しています。
そうしたバランスの悪さを計画的に整えていくのが経営指針といえるでしょう。経営指針の必要性は言うまでもありません。そして、熱心につくればつくるほど、できていない自分・自社について悩むことになります。
経営指針をきっかけにすべてがうまく回り出した……。そんな素晴らしい企業もありますが、我が社の場合は「ビックリするほどうまくいった部分」と「困った現象が表面化する部分」とがありました。困った現象が表面化するのはなぜか? 僕の解釈では、バランスを整えようと組織が機能しているからということになります。湯治における湯あたりのようなもの。湯あたりは快方へ向かう前兆ですから、歓迎すべきもの。経営指針を実践する上で、湯あたり程度でひるんではいられません。
昨日の経営労働委員会でおもしろい発見がありました。就業規則のつくり方に関する本が出版されるそうなのですが、それは「求人票や雇用契約書をまとめ直すだけで手間なく簡単にできる」というのです。実際、求人申込書のこの部分を文章化すればよい……という図が載っていて、驚くほどわかりやすい内容になっている。これが2年前に手元にあったら、我が社の就業規則改訂もすんなりできたに違いありません。
我が社の中でアンバランスに感じられるところ。その多くは経営労働委員会の中で論じられる話と重なっているような気がします。もう少し深く関わることで見えてくる世界があるのかもしれません。