おはようございます。
数日前から「寒波がやってくる」と話題になっていた。チャンス到来。写真を撮る人の多くはそう考えたに違いない。朝、更別、中札内方面を撮影。車の温度計ではマイナス33度。やはり20度と30度では寒さが違う。撮影しているうちに指がしびれてきた。9時過ぎ帰宅。午後は十勝経営者大学第3講。講師は釧路公立大学の神野照敏教授。「古典に学ぶ経済学 ~スミスとケインズ~」というテーマ。よく知られるアダム・スミスとは異なる人物像について語られていた。ほんのわずかな情報だけで、「この人はこういう人」と決めつけてはいけない。そんなことを再認識した講義だった。
知らないことがほとんど
それにしても冷え込みましたね。帯広は24.5度。陸別では31.8度まで下がり、テレビで盛んに報じられていました。ただ、同じ陸別といっても、もっと冷え込んだところがあります。陸別町小利別では40.3度まで下がったようです。僕の人生の中でも40度は未体験ゾーン。一度体験してみたかった……。
札幌13度、帯広24度、陸別31度、小利別40度。このうちテレビに出ていたのは札幌と陸別。さすがに30度はインパクトがあります。けれども、僕の見たテレビニュースで、40度の小利別が報じられることはありませんでした。
世の中には知らないことが山のようにあるものです。当たり前のことではありますが、僕らは「実は知らないことがほとんどなのだ」と知っておかねばなりません。そして、あまり知られていない場所にも人が住んでいて、そこに人生の営みがある。瞬間的とはいえ、40度の中で人が暮らしている。その事実に、なぜか感動のようなものを覚えてしまいます。
昨日の寒波とはまったく関係ありませんが、十勝経営者大学で取り上げられたアダム・スミスにも、同じようなものを感じました。スミスといえば、「神の見えざる手」というふうに学校で習った記憶があります。このため「スミス=自由放任主義」のように誤解したまま大人になる人が大部分。僕もそのうちのひとりでした。
昨日の講義で「そうだったのか」と気づき、今朝改めて調べてみました。単に国富論の真意が誤解されたというだけではなく、資本家らによって一部分を意図的に引用され、実像とは異なるアダム・スミス像が定着してしまったというのが真相のようです。こういうことって、歴史上の人物に起こりがちですね。もっと知らねばなりません。
ほとんどの人は自分の専門分野以外のことについて、情報が手薄になってしまうものです。僕のそのひとりであって、高校の授業以上に経済について学んだことはありません。あとは新聞で読む程度。「見えざる手」と同じ類いの誤解・曲解を、さまざまな場面でしていることでしょう。
したがって、僕らにできることは、何事も簡単に「決めつけない」ということですね。ひとりの人間にもさまざまな側面があるのと同様、ひとつの現象や出来事にも知られていない別な側面がある。自分の知らない異なる事実、異なる真実がある。そうイメージすることが大切であるような気がします。イメージできる人が増えていくと、世の中はもっと平和になるのかもしれません。
イマジネーションと現場主義
雑誌をつくる際にも、この「決めつけない」という基本姿勢が重要です。僕が参加する編集会議はスロウだけですが、おそらく我が社のすべての編集会議では「決めつけない」という編集方針、取材方針を持っているはず。
取材前には「だいたいこんな感じ」というイメージを持って出かけるわけですが、取材先でさまざまなものを見聞きすると、最初のイメージと違ったものを感じることがあります。プレ取材を行ってから本取材になったという場合で、2回目に訪れたときに異なる印象を抱くことが多い。それはごく自然なことであって、自分の第一印象に縛られるほうがおかしいと考えるべきでしょう。
スロウの場合は、主観表現を重視しています(特に文章において)。書き手の考えたこと、感じたことを書き加える。ここがスロウの雑誌としての特徴であり、書き手の哲学・思想が問われるところ。文章力の良し悪しよりも、自分の考えがあるかどうか? そしてまた、物事を別な側面から観察する力を持っているかどうかが重要となってきます。
常に一方向から物事を観察してしまう……。そうした癖がついていると、「決めつける」タイプの文章になってしまう危険があります。自分の中から「○○とはこういうもの」という断定的な考えを捨て去らねばなりません。偏見や決めつけをすべて取り去ることは不可能でしょうが、立ち止まって考えることはできるものです。
人間、ある程度年をとってくると自分の頭の中に豊富なデータが蓄積されていきます。意味のないデータもたくさんあって、どれほど有用なのかはわかりません。ただ、毎日膨大なデータと照合しながら、目の前に起こる現象や出来事を自分なりに評価しているはずです。その結果。「○○とはこういうもの」という結論を導きやすい。ここにちょっとした落とし穴がある。昨日はそんなことを考えていました。
僕らの仕事は雑誌以外のものであっても、自分の主観表現が求められることがあります。写真にしても、誰がとっても同じわけではなく、技術を超えた表現が必要となるものです。決めつけて撮ると、同じパターンの写真ばかり増えていく。常に新しい解釈はできないか、別な見方があるのではないか……。イマジネーションを発揮することが撮影では大切です。
人生のさまざまな局面で「決めつけない」という姿勢を持つ必要があるでしょう。最初から決めつけてしまっている人は、仕事においてはどこかの時点で成長がストップしてしまいやすい。それは「自分にできるのはここまで」と決めつけているからです。人生においても、決めつけることでチャンスを逃したり、事態を悪化させてしまうことが多いもの。
スロウ創刊当時、「現場主義」という言葉がよく使われていました。この考え方にちょっと通じるところがありますね。