
おはようございます。
早朝、糠平湖へ。すでにワカサギ釣りを目的に大勢の人が集まっていた。気温はマイナス24度。前日に比べると8度ほど暖かい。なのに、ずいぶん寒く感じた。カメラも僕と同様、動作がちょっと怪しい。適正露出で撮ることができない。別な撮影場所に移動。やはり、しばらくたつと露出が変だ。本当はもっと気温が低かったのかもしれない。帯広に戻る途中、熱気球が浮かんでいた。帰宅、昼食、昼寝。起きてからは、ブログを書き、撮影データをコピー。あとはゆったり過ごす。
技術よりも本物感
僕はデザインについて語る立場にはありませんが、ここ10数年くらいの間にずいぶん見栄えのよいパッケージデザインが増えてきたと感じています。ここでいうパッケージデザインとは、大手メーカーの商品ではなく、北海道の小規模な生産者から生み出される商品パッケージのこと。
2000年前後、よく見かけたのは家庭用インクジェットプリンターで出力したと思われるラベルでした。今もそうした商品はけっこう見かけます。しかし、そうした簡易的なラベルでも、ここ10数年でずいぶんレベルアップしているように思えます。プリンターの性能というよりも、デザインセンスが上がっている。
デジタルカメラの普及によって、写真の素人であってもそれなりにきれいな写真が撮れるようになっています。それと同じように、DTPソフトを使える人が増えていき、デザインらしきものがつくりやすくなった。今はどのジャンルでもプロとアマの境界がほとんどなくなってきています。中にはプロよりもセンスよく仕上げられているものもある。フォトグラファーもデザイナーも、うかうかしてはいられません。
捉え方を変えてみると、写真もデザインも裾野が広がってきた……と考えてよいでしょう。写真、デザインに関心を持つ人が増えてきた。その結果、一般消費者もデザイン性や映像の美しさを重視するようになった。ビジュアルが商品選択のひとつの基準となっているのです。
我が社にもパッケージデザインを得意としている人がいます。たぶん2人か3人。世の中にはパッケージデザイン専業というデザイナーも数多くいますから、単純に技術面だけで見ると、そうしたデザイナーと競い合うのは大変なこと。
しかし、僕の考えるところ、パッケージデザインに求められるものは「技術」「センス」ばかりではないんですね。むしろ、技術もセンスも控えめにしたほうがよい、と思われる事例が増えています。これは北海道でつくられる商品の多くに当てはまるのではないでしょうか? 技術とセンスを高めれば高めるほど、大手メーカーの商品のようになっていく。すべてとはいいませんが、そうした傾向が見られます。
パッケージの中に入っている商品そのものについて、よく考えてみる必要があります。大手メーカーと同じようなものづくりをしようと思ったのか? そんなはずはない。コストが高くても、量産できなくても、「これが自分にとって本物である」と思って世に送り出す商品。ですから、技術とセンスに頼ったデザインではなく、本物感がにじみ出てくるようなデザインが求められるわけです。
洗練されすぎない
パッケージデザインだけではなく、エディトリアルデザインについても同じことが当てはまります。
雑誌スロウのデザインでは「洗練させすぎないこと」を基本としています。このため、使用する書体は明朝、文字はスミ(黒)が基本となり、できるだけ変わったことはしないようにしているはず。
写真においても、基本は自然光。もちろん、人工光を使ったライティングによって、洗練させることも可能です。しかし、それを控えることによって「ありのままの魅力」を表現することができると考えているのです。
僕はこうした基本的な考え方を「洗練された素朴さ」と言い表すことが多い。編集者のK氏も、昨年行った北海学園大学の講義の中で「手作りであることがわかること」「洗練されすぎないこと」と語っていました。
この点は、デザイナーによってはストレスを感じるところかもしれません。技術の使用を控え、センスよりも素朴さを優先させるのです。つまり、格好いいデザインにしない。写真も格好よく撮らない……。
しかし、作り手の理念や商品のコンセプトが理解できると、ストレスを感じることなく、自ずとそのようなパッケージデザインとなっていくことでしょう。どのあたりがピッタリなのか、本当にセンスのよいデザイナーであれば、比較的短時間で察知することができる。
我が社の強みとしては、社内にデザイナーのほかに、編集者、フォトグラファーがいることです。デザイナーにとって一番頼りになる存在は、何といっても編集者でしょう。我が社にパッケージデザインの依頼があるのは、過去に雑誌等で取材させていただいた生産者、メーカーであることが多い。つまり、取材や原稿作成を通じて、理念、ビジョン、商品コンセプト、周囲の環境といったものを熟知しているわけです。
デザインの前にこうした情報が伝えられます。また、デザイナーも自ら生産者を訪ねたり、商品を使用しますから、何が求められているのかを理解することができる。地域雑誌をつくっているメリットはこのあたりにもあるような気がします。
僕の子供時代は、誰もが駄菓子屋に通っていました。ガラス容器からお菓子を取り出し、紙袋(たぶんハトロン紙)に入れ、くるくる回して封をする。50年前の子供にとって駄菓子屋は憧れの職業だったのではなかろうか? 無名の駄菓子のほうが僕らにとってはブランド価値が高かった。我が社のパッケージデザインとは何の関係もありませんが、ふと「袋をくるくる回す動作」が目に浮かんでしまいました。