おはようございます。
午前中はミラサポ専門家派遣支援の制度を活用して、ある専門家からアドバイスを受ける。我が社がこれから進めようと思っている事業について、基本的な考え方や手順などについて学ぶ。午後は食事会の買い出し。3時からスロウ編集会議。次号と15周年記念について。そうか、もう15年になるのか……。6時過ぎ、ぼんやり考えながら帰宅する。
ストイックな姿勢
northern style スロウが創刊されたのは2004年5月。次号(第59号)が15周年記念ということになります。7月には第60号を数える。どちらもひとつの節目となる号。やり続ければ、いつかは到達するわけですが、やはり感慨深いものがあります。
スロウ創刊の経緯や当時のエピソードについては、以前に書いたような気がするので割愛します。創刊当時と同じくらいおもしろいのは、スロウ編集部を襲った、数度にわたる危機的状況について。しかし、これは本ブログの「ソーゴー印刷事業案内」というテーマからは逸れてしまうので、別な機会に書くことにしましょう。
15年の間に、スロウは独特の進化を遂げてきました。月刊しゅんにも同じようなところがありますが、ガラパゴス化といってもよいめずらしい媒体となりつつあります。どうしてこの媒体が発行され続けているのか、不思議に思われる方もいます。
僕の考えでは、しゅんもスロウも「純粋な思い」から誕生した商品。「よりよい地域をつくりたい」とか「地域企業・生産者と地元消費者・読者の橋渡し役になる」とか「地域で活動する人たちと一緒に成長したい」……といった思い。しゅんとスロウは見た目も機能も異なる媒体ですが、根底にある思想は共通しています。
ですから、案外親和性があって、たまにしゅんの中にスロウ的な記事が掲載されることもある。おもしろい試みといえます。
スロウにはストイックなところがあります。昨日の編集会議でも「手っ取り早いと思われる手法」があっさり否決されました。近道はしない、魂は売らない。ついでに言えば、媚びも売らない。売るのは「本」と「考え方」。
といっても、高飛車な考えを持っているわけではありません。むしろ、「教えてもらおう」とか「教えてもらったことを共有しよう」という考えで、編集者は記事を作成しているはず。
スロウの記事の中には、丹精込めてものづくりを行っている人や、途方もない労力、時間をかけて何かを生み出そうとしている人が登場します。僕らが安易な本づくりを行ってしまったのでは、そうした方々に対して申し開きが立たない。また、自分たちが積み重ねてきた途方もない努力の積み重ねを無にすることとなってしまいかねません。ですから、ストイックな傾向が強くなる。
この傾向はスロウ創刊3年目くらいからあったと記憶しています。立て続けに魅力的提案がスロウ編集部にやってきました。ジョイントビジネスの話。いずれも丁重にお断りすることとなりました。事業として成長することよりも、編集者らの人間的成長を優先させたといえるのかもしれません。
スロウというカテゴリー
ソーゴー印刷の経済活動として、スロウはどのような位置づけにあるのか? そう問われると、スロウは「単体の商品」ではなく、スロウという「カテゴリー」なのだと僕は考えています。スロウ商品群。チビスロウから始まり、クナウムック、スロウアーカイブ、クナウアンビシャス、スロウな旅北海道……。関連商品が次々誕生し、ひとつのカテゴリーを形成している。こうした活動を通じて、我が社は「媒体創造力」という独特の強みを持つようになっていきました。これは我が社のコア・コンピタンスといってよいものでしょう。
スロウ誕生以前、我が社には「明確な事業領域」がありました。この事業は行ってよいが、これは我が社が手を出してはいけない事業……。そうした一線を引いてきたのです。
スロウ創刊によって、事業領域は曖昧なものとなっていきました。たとえば、通販は従来の事業領域の外にある事業。僕としては「これでよいのだろうか?」と悩み続けました。そうした領域外と思われる活動が、その後も続々増えていくことになりました。
2010年代に入り、僕の認識では「選択と集中」の時代が終わりました。集中しすぎることは事業にとってリスクとなったのです。スロウ編集部は理論的にではなく、肌感覚のようなところから新しい試みを行っていきました。編集者の発案もあれば、生産者や作家さんの要望によってコラボすることもありました。有機的に何かがつながっていき、いつの間にかプロジェクトが始まっていた。編集部に近いところにいるはずの僕にも、知らない動きが多かった。今もそういう活動がひとつかふたつあるような気がします。
スロウは僕にとって重要なことを教えてくれた媒体といえます。そのうちのひとつは、「事業領域よりも事業テーマが大切」ということ。自分で線引きした領域の中で窮屈に活動するのではなく、地域にとって必要だと思えるようなことを自由に行っていけばよい。そんなシンプルな思考に変わっていったのです。
僕の頭の中の半分には、「保守的な自分」がいて、新しいチャレンジに対してブレーキをかけようとしています。しかし、「自分を突き動かす何か」もある。有機的なスロウ編集部ですから、これからも「得体の知れない何か」に突き動かされるように、新たな活動を行っていくのではないかと想像しています。
目に見える形として雑誌スロウが存在するものの、関連する活動すべてがスロウなのだ……。僕にはそう思えてなりません。