おはようございます。
午前中は社内報の原稿作成。70%くらいか。午後1時から十勝経営者大学第5講。講師は帯広畜産大学の志賀永一教授。「農業事業者の大規模化とこれから」というテーマ。大規模化が進む中、大きな問題が横たわっていることを知った。帰宅後も原稿作成。さらに、宿と航空券の予約等。
重要商品の3条件
社内報のテーマは我が社のある商品に関するものでした。主力商品というわけではないけれども重要商品。そんな商品がどの会社にもあるのではないかと思います。けれども、そうした重要商品について社内で共通認識があるかというと、案外知られていないことが多いんですね。
どのような経緯があって誕生したのか? どのような意味を持つ商品なのか? そして、自社にとってどのような可能性を秘めているのか? なぜ重要であるかについて、できるだけ知ってもらわなければなりません。
さらに言えば、僕の知らない重要商品もあるのではないかと思います。みんな自分にとっての重要商品を抱えているはず。僕個人にも重要商品がある。社内のほとんどの人が重要だと思っていない重要商品。この件については、別な日に改めて書くことにしようと思います。
僕の考える重要商品の条件は、先に挙げた3つ。「誕生の経緯」「存在意義」「将来の可能性」ですね。ストーリー性があって、そのストーリーが将来にも続いていくようなもの。そしてもちろん、地域社会の発展や自社・個人の成長につながるようなものであること。
そのような観点から考えると、重要商品と普通の商品との違いがある程度明確になってくるのではないでしょうか? もちろん、我が社にとって「普通の商品」も重要であることは疑いありません。言うまでもありませんが、普通の商品に対しても、重要商品と変わることなく、全力を傾けることが大切です。
重要商品の3条件の中で、僕がもっとも気になるのは「誕生の経緯」に関すること。新商品は必ず何らかの理由があって誕生しています。ですから「誕生の経緯」にはある種のストーリーがある。そのストーリーが魅力的なものであるかどうか? あるいは強烈な出来事があるかどうか? そのあたりが僕にとって重要な意味を持つわけです。
たとえば、我が社にとって月刊しゅんは「重要商品」です。我が社のたぶん全員がそう認識しているはず。それは売上の柱になっているという理由もあるでしょうが、僕にとっては「誕生の経緯」が強烈で魅力的ストーリーを持っているからなんですね。そのことについて語り継ぐ人がいるから、しゅんは重要商品であり続けている。そうして、将来の可能性を秘めているとも言えるわけです。
しゅんはその意味ではわかりやすい重要商品。毎月発行され、毎月売上が計上されます。昨日書いた原稿で取り上げたのは、年1回発行される「わくらす」がテーマでした。この媒体、考えれば考えるほどユニークな背景を持つ商品といえます。誕生の経緯を語るには10数年前にまでさかのぼる必要がある。社内のみんなは、2014年に発行された「ワークワーク」があって、それが改名されて「わくらす」になったという事実は知っていることでしょう。けれども、その前のストーリーが興味深いのです。
商品そのものが意志を持つ
僕はエンゲージメントとかインナーブランディングといったことについてよく語りますが、そこには魅力的ストーリーが欠かせないと考えています。自社の歴史、そして自社商品の誕生の経緯について深く知ることができれば、必ずといってよいほど愛着心のようなものを感じるはず。
今自分が関わっている仕事にはこのような背景があったのか……。その背景に気づいてほしい、意味を知ってほしいと常々願っています。
長く続いている商品には、必ず「先人たちの労苦の歴史」が秘められています。印刷商品も月刊しゅんもスロウも、誕生当時のストーリーはおもしろくて、変わっていて、それでいてどこか物悲しい(これは僕の解釈ですが)。
歴史というと、過去の出来事のように思われるかもしれません。しかし、歴史は今もつくられ続けているわけです。しゅんの歴史もスロウの歴史も、いまなお積み重ねられています。その歴史を10年後、20年後の若手社員が知って、やはりおもしろさ、ユニークさを感じてくれるかもしれません。将来の若手社員に、「これは重要商品だ」と感じ取ってもらえるような歴史を刻んでいくことが大切です。
商品誕生当時に労苦の歴史があるのと同様、今現在にも何らかの労苦があるはずです。労苦だけでは歴史にはなりませんが、労苦を経て意味ある仕事を成し遂げれば、歴史に刻まれる史実が誕生します。社史を飾るような仕事を成し遂げてほしいと思います。
人間がつくり出す商品ですから、商品そのものもどこかしら人間的なところがあるのではないか、と僕は考えています。印刷物にしろ、広告媒体にしろ、出版物にしろ、外見的には紙製品に変わりはないのですが、そこには物質として商品が存在するだけではなく、何かが秘められている。単純に「思い」や「気持ち」と言ってもよいのかもしれません。けれども、それだけではなさそうです。
商品そのものが意志を持っているのではないか? そう感じることがあります。というのも、我が社の重要商品に限れば、必ずといってよいほど自分の思い通りにならないし、思いがけない展開をしていくのです。しゅんも、スロウもそうでした。わくらすもきっとそうなるでしょう。
地域社会の中でこの商品は必ず存在しなければならない。そうした確信から誕生した商品には、多くの人々の意志が込められる。意志が幾重にも塗り重ねられていった結果、紙製品であるにも関わらず、商品そのものが意志を持っているかのような存在となっていく……。僕の勝手な思い込みではありますが、そんなイメージを持っています。
我が社の重要商品にはどこか不思議なところがあります。そして、誰にもコントロールできないような気がします。