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経営指針の話05 言葉との出合い

経営指針の話05 言葉との出合い

おはようございます。
 経営指針研究会報告集の制作に集中しようと思えば思うほど、他の仕事が舞い込んでくる。僕にはこのパターンが多い。パフォーマンスは50%程度。あっという間に夕方。午後6時半、FMウイング番組審議委員会。今回が委員としての最後の務め。委員会終了後は懇親会。おもしろい。これほど言葉を自由に駆使する人たちは滅多にいない。9時過ぎ帰宅。

経営理念はつくるもの?

2018年度経営指針研究会報告集の制作は全体の60%といったところ。集中すれば、今日の昼頃には形になっているはず。今日こそ、一気に進めなければなりません。
 そんな中、ひとつ気づいたことがあります。多くの研究生たちは言葉を「見つけよう」とか「つくりだそう」としています。とりわけ、経営理念を言葉で表現することに苦労している。いったん完成させたにせよ、「本当にこれでよいのか?」という疑問を引きずっている人もいることでしょう。
 無理につくろうとすると、当然ながら作為的な経営理念になってしまいます。また、無理に見つけようとすると、目に見えるものばかりに心が奪われてしまう……。
 自社の商品の中に、社風の中に、一人ひとりの社員の中に、経営理念を見ることはできる。ですから、目に見えるところに理念は存在していると考えて間違いではない。けれども、理念そのものが目に見えているわけではなく、あくまでも商品は商品、社員は一人ひとり個性の異なる人間であるはず。見つけようと思っても、簡単には見つからないのではないか……というのが僕の考えです。
 経営理念を言葉で表すのは大変な作業といえます。何の変哲もないような言葉であっても、それを自社の理念として掲げるのですから、大いに考え、大いに悩むのは当然です。考えていくうちに思考が迷走状態に陥る人もいますし、楽な方向へ進んでしまう人もいます。そう、「見つける」「つくりだす」の他に、「借りてくる」という方法もあるのです。
 この「借りてくる」という事例は案外多いようです。誰か影響力の大きな経営者がいると、その会社の経営理念を真似て、同じような言葉を並べて自社の理念とする。すぐに誰の影響かわかってしまう……というような理念。それが悪いことだとは思いませんが、いずれ自社独自の言葉に置き換えるべき時期がやってくるのではないかと思います。そのときまで、借り物感は拭い去ることができないに違いありません。
 さらに、もうひとつパターンがありました。「つくってもらう」というもの。先週の全道経営指針委員会一泊研修交流会の中でも、「コンサルタントに300万円でつくってもらった」という事例が紹介されました。お金をかけてできた経営理念はどうなったのか? 自社が危機に陥ったとき、「何の役にも立たなかった」というのです。結局、経営指針研究会に入会して苦労して経営理念を新しくした。その理念が今度は自社を救うことになるわけです。
 結局、経営理念は「見つける」「つくりだす」「借りてくる」「つくってもらう」ものではない。それが現時点での僕の考え。ですが、見つけようとする努力、つくりだそうとする努力を否定するものではありません。こうした努力の中から大きな発見が得られるのだと考えています。

社史の中から「発掘」する

僕の言葉が適切かどうかわかりません。経営理念というものは「発掘する」ものなのではないかと思っています。「見つける」という場合は、今存在するものの中から何かを発見するという意味になるでしょう。これに対し、「発掘する」の場合は、歴史(社史)の中から発見したり、何10年も販売し続けている定番商品からの発見ということになります。あるいは、社歴の長い人の行動の中に自社の理念に近い何かを見いだすこともあります。
 そうした中から、埋もれていた言葉を発掘する。とはいっても、これはすごいという言葉が発掘されることは滅多にないはずです。我が社の理念にしても、平易な言葉が並んでいて、とても発掘された言葉のようにも感じられません。
 それでも、「創業時から大切にされ続けてきた考え方」というものが自社の歴史の中にはあるはずです。当時の人がそれを言葉で表現していたのであれば、その言葉を発掘すべきでしょう。その言葉をそのまま今日の経営理念に使用するべきかどうかは、判断の分かれるところ。僕の場合は、誰にでも伝わるよう、平易な言葉に置き換えていきました。
 「見つける」と「発掘する」、「つくりだす」と「置き換える」。この区別を自分の頭の中で明確につけられなくなることがあるでしょう。ですから、経営理念の明文化にあたっては、言葉を見つけようとしても、つくりだそうとしても構わないと思います。しかし、いったんまとめ上げてみて、どこか不自然なものを感じたとするならば、そこに自社の歴史、文化とのずれがあることに気づくべきでしょう。
 見栄えのよい言葉に飛びついてしまったとき、そうした不自然さに後で気づくこととなる。できれば、社内で発表する前にもう一度発掘を試みるべきでしょう。自然か不自然かは自分にしかわかりません。ただ、敏感な自社の社員はその不自然さに気づくことがあるものです。また、気づかないにしても、経営理念に何も心動かされない……というのはよくあること。
 経営者は言葉に対して、執念を燃やさなければならない。経営指針研究会報告集をまとめながら、改めてそう感じました。また、FMウイングの番組審議委員会でも、少し違った角度から言葉の使い方、表現の仕方について考えさせられました。
 大事な言葉というものは、操るものでも、ひねり出すものでも、天から降りてくるものでもない。すでにあるもの。そのはずなのに、なかなか気づくことができないというのが現実です。ところが、自分の限界を超えるくらい考え続け、調べ続けると、見えなかったものが見える(見えたような気持ちになる)瞬間がやってくるものです。言葉との出合いがある。これも経営指針づくりの醍醐味のひとつといえるかもしれません。

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