おはようございます。
午前10時、とかちプラザ。11時過ぎ出社。午後1時半出発。不思議なルートで北見へ向かってしまう。4時半到着。宿で態勢を整える。6時、例会会場へ送ってもらう。7時、中小企業家同友会オホーツク支部3月例会。僕にとっては2日連続となる講演。タイトルは「経営指針が会社を変える、社長を変える」。本当に社長が変わったのか? そう問われると疑わしい部分もあるのだが、会社のほうはずいぶん変わった。変えたくても変えられない部分もあるが、いずれ変わるに違いない。後半はグループ討議。9時例会終了。9時半から懇親会。大人数の懇親会。グループ発表は懇親会の場で行われた。質疑応答も。学びの多い懇親会となった。経営指針委員会メンバーらと二次会へ。
真面目から超真面目へ
経営指針の話をする上でちょっと難しいなと思うのは、話が硬く真面目になってしまいやすいことです。ちょっと油断すると「真面目に正論を語る」ことになってしまいます。これでは誰も耳を傾けません。あるいは、耳だけ傾けて頭では別なことを考えるようになってしまう……。
子供の頃、親から「勉強しなさい」と言われたことと同じ現象が訪れる。誰かに真正面から指摘されて、やる気になる。そんな素直な人はほんの一握りでしょう。ですから、経営指針について話す場面では、真面目ではない伝え方を試みなければなりません。真面目以外の伝え方。選択肢は「不真面目」または「超真面目」ということになります。前者はあり得ません。もちろん、超真面目に伝えていくことになる。
では、真面目と超真面目とではどこが違うのか? 正論や事実ではなく、真実を語るということではないかと僕は考えています。事実はひとつ。ですが、真実は人の数だけあるもの。ひとつの事実があって、人数分の真実がある。自分にとっての事実の捉え方。ひとつの事実にもさまざまな側面がありますから、その捉え方は人によって異なるのです。
事実をベースに、自分の信じていることを本気で語っていくことが重要なのではないか? 経営指針の話に限りませんが、僕は講演等で話をする際には、事実や正論以上に、自分の信じていることについて語るようにしています。企業経営者ですから、みんな何かしら経営の勉強してきています。正論はさほど求められていません。自分の信じる価値観、世界観を伝えること。そうした世界観を形成する上で、経営指針がどれほど役立ってきたのかについて、自分の経験を語ることが重要ではないかと思っています。
とかち支部の例会でもそうですが、やはりおもしろいと思う例会は「経営体験」の話でしょう。さまざまな経営体験について経営者の生の声を聴くことができる。ここに同友会例会のおもしろさがあると思います。
僕もこれまで「経営指針で自分が救われた」という話を何度も聴いてきました。「自社が救われた」という話もありますが、「自分の命が救われた」という話がけっこう多いものです。そういう人の場合、経営指針との出合いは「とことん困ったあげく、藁をもつかむ思いで……」というケースが少なくない。経営指針研究会は駆け込み寺ではありませんが、人によっては救いの場となる可能性がある。また、そうした研究生から刺激を受けて、経営指針研究会は「真面目な会」ではなく「超真面目な会」になっていくはずです。
圧倒的過去と圧倒的未来
懇親会の場で、「業界の歴史と人類の歴史」について共感の言葉をいただきました。自社の歴史を深掘りしていくと、業界の歴史にたどり着く。業界について深く考えると、人類の誕生から考える必要が出てくる。自社の経営理念、超長期ビジョンを言葉に表すには「圧倒的過去」について考えねばなりません。自社の社歴と自分史を振り返るだけでは物足りないのです。
印刷産業の場合、業界としては560年くらいの歴史でしょうか。しかし、活版以前を含めると、もっと古い業界ということになります。どうしてこの産業が成り立つようになったのか? そこに自分としての真実を明らかにすることができれば、「なぜ印刷なのか?」に一歩近づくことができる。
僕がなぜそのようなアプローチの仕方をするようになったのか? それは自社の創業期の情報が圧倒的に不足しているため、というのが最大の理由。創業期の写真も史実もほとんど残されていないのです。これは創業の精神を明らかにする上では致命的弱点。想像するよりほかないのです。僕はその弱点をカバーするために、業界の歴史に答を求めました。グーテンベルクの活版印刷を自社の創業と考えよう……ということですね。かなり無理があると思いますが、そこから自社の創業の精神と自社のあるべき姿が明らかになっていきました。
この手法は、創業期の記録が残っていない会社や、創業したばかりで歴史らしい歴史がないという会社に有効でしょう。
昨日の例会の中で語ることはできませんでしたが、経営指針について超真面目に考えていくと、「圧倒的過去」と「圧倒的未来」に思いを馳せることになるでしょう。真面目な人は今の世界だけを見てしまう。超真面目な人は過去から未来まですべてを見ようとする。
僕がおもしろいと思うのは、圧倒的過去を見ていくと、同時に圧倒的未来がイメージできるようになるということ。グーテンベルクが活版印刷を使って実現させようとしたこと。それは圧倒的未来においても変わらないのではないか? 業界誕生時の純粋な思いとか突拍子もないひらめき。そうしたものから、僕らはさまざまなインスピレーションを得ることができます。
目の前の現実が重要であることには変わりありません。けれども、現実だけ見てしまうと、過去の真実も未来のビジョンも見えなくなってしまいます。現実を少しだけ脇に寄せておいて、過去から未来までを見渡す時間を確保するのが経営者の仕事のひとつといえるでしょう。目の前の現実から、自由になることができれば、アイデアが浮かびやすくなるものです。それが超真面目な経営指針成文化への道ではないか、と僕は考えています。