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「微差に過ぎない」と思うこと

「微差に過ぎない」と思うこと

おはようございます。
 お元気ですか? 僕は今月最大の山を乗り越え、少しだけホッとしているところです。ただ、10年前のような無茶な働き方はできなくなってきましたね。夕方には使い物にならなくなっていました。昨日のような超早起きは年1回。そう決めます。今年はもう使い切ってしまいましたから、これからの10ヵ月半は、きっと人間的な働き方になるでしょう。
 さて、今日は「激訳・自分史作成講座」をお休みし、我が社の新入社員研修について書いてみようと思います。

今年は例年より早く、2月14日から研修が始まりました。別にバレンタインデートとは関係ありません。ただ、今年の受講生は全員女性(4名)。めずらしく、男性不在の新入社員研修となりました。
 研修の進め方は毎年異なります。使用するデータも違っていて、教科書のようなものもありません。さすがに毎年研修用のテキストを作成するのは大変だ・・・。そう思って「激訳・キャリアデザイン」を出版したのですが、新入社員研修のテキストとしてはちょっと使いにくいことがわかりました。僕の書く本はあまりにもわかりやすいからです。読むだけでわかってしまいます(本当にそう言ってよいのだろうか?)。
 僕の中にはある仮説がありました。多くの経営者はきっとこんな考えを持っているのではないかと思います。
「新入社員が経営者の思いや考えを理解できるはずはない」
 僕も10年くらい前にはそう考えていました。この考えは雑誌スロウの中で僕が連載ページを持つようになってから、変わっていくことになりました。取材を通じてさまざまな人の考えを吸収することで何かが変わった。そんな気がしています。
 それで、その仮説なんですが、「経営者も社員も新人も同じではないか」というものなんです。これは仮説というより、僕の中では信仰(?)というレベルですね。立場、経験、知識などに違いがあるため、表現の仕方が経営者と社員とでは違っている。けれども、求めている世界はほぼ同じと考えてよいのではないかと思うのです。
 したがって、経営者が極限までわかりやすく物事を伝えることができれば、同じ思い、同じ考えを共有することができる。同様に、新入社員であっても経営的視点を持って自分の考えを伝えれば、それが支持される可能性は非常に高い。そう考えてもよいでしょう。
 もうほとんど「労使見解」のような話に入っていますね。

ふと思い出した言葉がありました。それはもう30年近く前に言い放たれた言葉。
「高原さんに私の気持ちが分かるはずない」
 東京時代の会社でひとりの社員からそう言われたのです。「えええっ?」と思いました。経営側の人間とはいえ、僕は当時まだ20代で「労使」などという意識はまったくありません。能力差はあれ、一緒に働く仲間・・・という思いを持っていたのです。
 まあ、単純に僕の持つコミュニケーション力が極端に低かったために招いた言葉。今ではそう理解しています。当時に比べれば、今ではずいぶんコミュニケーション力が高まってきました。以前がいかに低かったか、想像していただけると思います。
 ただ、人は「微妙な違いを大きな違いだと思い込みやすい」ものなんですね。これはそういう教育を受けて育ってきたからだと思います。試験の点数によって高校や大学に合格したり、しなかったり。あるいは、ちょっとした面接での印象の違いによって、希望する会社に入社できたり、できなかったり・・・。
 そういう経験を重ねるうちに、本当は微差に過ぎないのに大きな違いだと思い込む。役職の違いが大きな違いだと思ってしまうのも当然といえるでしょう。

微差を大きな違いだと思い込むと、どういうことになっていくのか? 僕はここ30年の間、数々の事例を目撃してきました。
 微差だったはずなのに、「本当に大きな違い」へと変わっていくのです。
 本当に気をつけなければなりません。一番気をつけなければならないのは、新入社員をはじめとする若手社員の人たち。小さな違いを大きなものと錯覚しないことが大切。微妙に過ぎないのですから、数年の努力でいくらでも状況を変えることができる。そう信じるべきでしょう。
 錯覚がどんどん拡大していった人は、「諦める」か「対立する」ようになっていくのではないかと思います。「労使見解」が発表された43年前と今とは状況がずいぶん異なっていますが、経営者と社員との間でお互いに大きな錯覚があった。そしてその錯覚は今もあるに違いありません。けれども、中小企業経営者とそこで働く社員との間に、いったいどれほど差があるというのでしょう。
 仕事が立て込んでいたら、社員も経営者も懸命に働く。少し落ち着いてきたら休んだり、旅行したり、プライベートな時間を充実させる。会社として大きな利益(粗利益)が得られれば、それが社員に分配され、みんなが経済的に豊かになる。逆に、粗利益が十分確保できないときは、全員で辛抱する。辛抱だけではなく、利益が増えるよう努力や工夫を重ねる・・・。そんなシンプルな会社でよいのではないかと思っています。
 したがって、社員一人ひとりは自分の能力を磨き、生産性を高め、自分も周囲の人も豊かになれるよう努力しなければなりません。この点では経営者も社員もない。そして、新入社員を含む全社員の中から、経営的視点で会社全体のことを考えることのできる人が増えていったなら、会社は間違いなく発展していくことになるはずです。
 そのためには、まず経営者から自分の思いや考えをオープンに伝えていくことが重要。まさに「労使見解」に書いてある通りなのだと思います。 

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