おはようございます。
昨日はあえて予定を入れず、東京のどこかで原稿を書こうと考えていた。有楽町を少し歩いてみたいと思った。毎日通勤していた34年前とは大きく変わった。しかし、変わらないところもある。だから「同じ街だ」と認識できるわけだ。何が変わり、何が変わらないのか。どのような理由で変わる(または変わらない)のかについて考えた。昼頃、羽田空港へ。約4時間、ラウンジで原稿を書く。耳栓をしていたが、BGMと靴音が妙に気になってしまった。聴覚が過敏な日だったのかもしれない。4時55分のエアドゥで帯広へ。
健全な競争と不健全な競争
一昨日の「じゃぱにうむ2019」の中で記憶に残るひと言がありました。それは創業から140年近い歴史を持つ印刷会社の社長の言葉。「やりたいことは競争ではない」。僕の隣に座ったときにもそう話していましたし、事例発表のときにもそんな言葉が出てきました。さすがSDGs(持続可能な開発目標)を掲げている会社です。
この「競争」という言葉。僕は常々、注意深く扱うべき言葉ではないかと考えています。競争よりも「共創」のほうが断然美しく感じられるわけですが、短絡的に解釈してしまうと自己成長意欲の低い集団になってしまう危険性があるのです。競争心を持たない社員ばかりの会社になると、自社の先行きは非常に不安に感じられます。
もちろん、先の老舗企業の社長の発言はそういう意味ではなく、もっとハイレベルな話。競争はどんな人でもどんな企業でも行っているのです。少なくとも、自分も自社も「過去の自分」「過去の自社」と競争している。これは歴然とした事実。以前よりもよい仕事をしよう……。みんなそう思って仕事をしているはずだからです。
他人・他社と自分・自社とを比べて、刺激を受けたりライバル心を持つというのも、健全な競争のありかたでしょう。他社よりも、より付加価値の高い仕事をしようと試みる。どの会社もそのように努力しています。
不健全な競争とは、ひと言で言えば「相手を打ち負かそう」と考えること。ただ、これも不健全と即断することはできません。営業現場では同業他社と絶えず競争しているからです。そこには弱肉強食的な側面もきっとあるはず。ですが、激しく競争しながらも、中長期的には「お互いに高め合う関係を築こう」としている。相手を潰してしまおうと考える印刷人には、まず出会ったことがありません。そこに印刷業界の健全性があるのではないか、と僕は考えています。
さて、その上での「競争ではない」という言葉。これは弱肉強食型の資本主義が行き着くところまで行き着いてしまった結果、「競争ではないよりよい方法を考えよう」ということではないか、と僕は理解しています。
僕の考えるところ、競争というものは非常に効率が悪い。いつも非効率だと感じるのは、過度な価格競争ですね。健全な価格競争は商品を広く普及させるために必要なものといえるでしょう。けれども、採算を度外視した価格競争は自社も他社も消耗するだけ。消耗の結果、仕入先、外注先には過度な値引きを要求し、社内には無理な固定費削減を要求する。よい結果をもたらさない価格競争は行うべきではありません。
大企業はシェア争いから逃れることは困難でしょうが、地域企業の場合は競争以外にも道がある。どうすれば不健全な競争から自由になれるのか? 今は競争の真っ只中にあったとしても、このことを真剣に考える必要があるのです。
地方から生まれつつある変化
過度な競争社会になると、さまざまなところに歪みが出てくるものです。その歪みが極大化しているのが今日の世界。たとえば、極端な貧富の格差。これが世界を不安定にさせる大きな要因となっています。
世界全体を見ると、あまりよい方向へは向かっていないように思えます。けれども、世界の一部、日本の一部を見ると、よい動きも少なからずあるのではないかと思います。近現代は大都市を中心に国が動いていきましたが、将来はもしかすると違ったことになるのかもしれません。そう予感させるような動きが日本にもいくつか見られます。
これはスロウなど取材活動を通じて僕が感じていること。ですが、新聞や雑誌を読んでも、それほど深く語られている記事に出合うことは滅多にありません。一部書籍の中に鋭い分析がなされていて、「なるほど、そういうことか」と納得することがあります。やはり、僕らは書物からもっと学ばねばなりませんね。
日本も多くの国も、大都市から発信される情報に大きな影響を受けています。日本はとりわけ情報に関して中央集権的なところがありますから、東京の視点から物事を考えるという傾向を多くの人が持ってしまっています。もちろん、地方から発信される情報もたくさんあります。ただ、発信力……というより情報を流通させる力が圧倒的に弱い。このあたりが地域の出版人に共通する課題といえるでしょう。
過度な競争から自由になるための生き方、仕事の仕方。それを当たり前のように実践している人が地方にはいます。企業経営者の中にも、そこを目指している人がいる。目立たないことが多いため、広く知られているというわけではありません。また、広く知られすぎてブーム化するのも避けたいところでしょう。
これから10年、20年かけてゆっくりと変わっていくことになるのではないか? 楽観的観測ではありますが、そんなふうに捉えています。
競争社会の矛盾が極端に広がった結果、競争しない社会への待望感が高まっている……。それが正しい認識かどうかわかりませんが、そうした動きが北海道の中にも、印刷業界の一部にも散見することができる。このあたりについて、もっと研究したいところです。