
おはようございます。
丸一日パソコンに向かう。ひたすらパワーポイント。途中で少しだけフォトショップを使った作業。パワポの時短が僕の人生には不可欠だ。パワポをやめるか、極限まで効率化するか。この山を乗り越えたら考えよう。作業は10時半まで続いた。
江戸時代の広告
新入社員研修用の教材をほぼ全面的に作り直す。頭の中では過去の講演資料を再編集することでできそうな気持ちになっていましたが、実際にやってみると、これがなかなか大変。重要な情報が欠落していたり、ていねいに伝えなければならない箇所があったり。しかも、来年度には一部の講座を若手に譲り渡すこととなる。誰でも理解可能な教材を整えようと考えると、自然に時間がかかってしまいます。
まったく新しく設けた講座に関しては、一から調べ直して作成することとなりました。昨日一番時間をかけたのが「広告の歴史」でした。僕もぼんやりとしか覚えていない。アドミュージアム東京へ行ったのも、10年くらい前のこと。江戸時代の広告はおもしろい。そんな漠然とした印象が残っているだけです。
どのあたりがおもしろいと感じたのか? なるほどと思ったことがありました。ひとつめは、識字率が低かったため、文字よりもビジュアル重視の広告が多かったという点。字が読めなければ、どれほど魅力的なコピーが書かれていても意味がないわけです。江戸時代の看板の中には、形を見ただけで何屋さんかわかるようになっているものが多い。
これは今日にも応用可能ではないかと思いました。かつては「識字率の低さ」からビジュアル化されたわけですが、今起こっているのは「情報爆発」。一瞬で伝わるような表現を求められることがある。実に参考になりますね。
言葉を使ったものとしては「隠語」を使った表現がおもしろく感じられました。隠語というよりも駄洒落に近いものもある。言葉遊びのセンスが発達した時代だったのでしょう。たとえば「十三里」と書かれている看板。これは何屋さんかというと、実は焼き芋屋。栗よりうまい→栗より→九里四里→足して十三里……といった具合。こんな視点から江戸時代の看板や広告類を眺めてみると大変興味深いものがあります。
月刊しゅんのルーツではないか? そう思えるものもありました。京都、大坂、江戸では買い物情報誌が発行されていたんですね。掲載件数がすごい。数千軒。しかも、僕の調べた範囲ではどうやら各商店から掲載料を徴収していたようなのです。広告料金はどのくらいだったのだろう? ちょっと気になります。
一番驚いたのは、江戸時代に広告効果測定が行われていたという事実。引札という、今でいえばチラシのような印刷物をまいて、どれだけレスポンスがあったのかを測定していた。越後屋は50万枚の引札をまいたところ、4ヵ月にわたって売上が60%ずつ増えたそうです。驚異的な販促効果。当時の江戸の人口を130万人とすると、ほぼ全世帯ということになるのでしょうか? 月刊しゅんは十勝34万人に対して約13万部。だいたい近い比率といえそうです。
広告と平和
どの時代にあっても、自社及び自社商品の存在が知られていなければ、商品が売れることはありません。広く告げる=広告が必要不可欠なのです。
世界最古の広告は古代エジプトの首都テーベの遺跡から発見されたものとされています。それは「逃亡した奴隷を発見するための懸賞広告」でした。これが世界最初とは……。他にも首をかしげたくなるような広告が古代にはいくつもありました。
一方、日本の広告はどうやら奈良時代に起源を持つようです。養老律令の解説版「令義解(りょうぎのげ)」の中に「凡市毎律立標題行名」と書かれています。平たく言うと、店ごとに看板を掲げて何屋さんかわかるように……という意味。看板広告が始まりだったのです。
江戸時代にユニークな広告が発達したのは、長い間戦争のないな世の中が続いたからのようです。確かに平和と広告は親和度が高い。僕らは広報や広告を通じて、広く情報を伝える活動を行っています。そうしたことができるのも、世の中が平和だから滞りなくできるのだと考えるべきでしょう。戦時中、あるいは抑圧された環境の中での情報発信活動は、歴史の中では学んでいるものの、実際のところは想像もつきません。
広報や広告は平和な世の中だからこそ、健全に発展していくもの。そう考えるならば、平和が保たれるような広報・広告活動を積極的に行っていくことが重要なのではなかろうか? 商品広告であっても、それが何かしら健全な世の中の発展につながるようなものであるべきではないか? 単に売れればよいという広告であってはいけない。そう思うのです。
江戸時代にもおそらく不健全な広告(人を欺くようなもの)があったとは思いますが、そうした広告を僕らがふだん目にすることはありません。長い年月を経て今も残っているのは、ユニークでどこか平和を感じるような広告が多い。古代エジプトの広告とは真逆ですね。
今の世の中は平和ではあるものの、さまざまな点で矛盾が拡大している時代といえます。対立をあおるような情報もあれば、大事な問題に目を背けるよな情報活動もある。
広告の目指すところは「商品を販売する」「顧客を増やす」というところにあるわけですが、その伝え方は「人を楽しませる」というところにあると僕は考えています。「これを買えば得をする」という広告ばかりだと、つくる側も見る側も楽しさを感じなくなってしまうのではないかと思います。
ユニークな広告をつくることで、おもしろい会社、おもしろい店だと思ってもらうほうが、長期的に商売が繁盛するのではなかろうか? 僕はそう考えていて、自社をどうおもしろく伝えることができるのか、しょっちゅう考えています。