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北海道の仕事と暮らし102 なぜこの仕事なのか?

北海道の仕事と暮らし102 なぜこの仕事なのか?

おはようございます。
 午前8時半、M氏とともに壮瞥町へ。帯広からは約4時間。途中、支笏湖で撮影。取材は午後1時から。「仕事と暮らし」というよりも「仕事と人生」を考えさせられるような取材内容だった。4時、帰途につく。8時半帰宅。

「なぜ?」という自問自答

なぜこの仕事なのか? スロウの取材では、たいていの場合ここが掘り下げられていく。質問の仕方や話の展開はそれぞれ異なるものの、どこかで「なぜこの仕事?」という話になります。暮らしの取材がテーマの場合は「なぜこの暮らし?」ですね。
 この「なぜ?」が重要であり、そこにその人の人生が凝縮されているのではないかと思います。歴史や自分史が語られることもあれば、仕事観や人生観が語られることもある。
 人を感動させるような仕事をしている人ほど、「なぜ?」を自問自答しているのではないか、と思うことがあります。いい仕事というものは、並大抵の努力でできるものではありません。自分はなぜこれほどこの仕事に熱心になれるのか? 他の仕事に脇目も振らず、ひとつのことに集中できるのはなぜなのか? 誰もが考えるのではないでしょうか?
 「ひとつのこと」と書きましたが、これはひとつの技術という意味ではありません。僕は写真と文章を中心に何種類かの仕事を行っていますが、自分の中では「ひとつのこと」としてまとまっています。スペシャリストを指しての言葉ではありません。ひとつの生き方。このほうがわかりやすいですね。
 なぜこの仕事なのか? この問いに対して、何の迷いもなく、すべての謎は解明済み……といった感じで話を展開していくのは、僕の取材してきた範囲では年配の方が多い。
 若い人の場合、「思い込み力の強さ」によって迷いが払拭されるケースはあるでしょうが、これは一時的なものに過ぎません。一方、この道50年、60年となってくると、思い込みではなく、思いの結晶のようになっていく。自分の人生のあらゆる出来事がひとつの仕事に収斂されていく……。そんな感覚ではないかと思います。僕はまだそうした境地には達しておらず、どこか別な方向へも枝葉を伸ばそうとしている自分がいます。
 人生にはさまざまな制約や自分の自由にならないことがありますから、必ずしも「この道数十年」という人ばかりではありません。紆余曲折があって、ようやく自分の本当にやりたい仕事にたどり着いた、という人もいます。そうした人の場合、これまでの人生経験、中でも苦労の結晶のようなものが作品の中に隠し味のように表現されている。それは取材で話を聴いたからそう感じるという部分もあるのかもしれません。しかし、僕にはそれが作品や仕事全般に表れるはずだと思えてなりません。
 若手の作品にはピュアな感性が表現されていて、そこがひとつの魅力となっています。年配の方の作品の場合、途方もない時間の積み重ねの中で凝縮された「人生そのもの」が込められているように感じられる。両者の違いはとても興味深いものです。単純に技術力や表現力の違いではないのです。

仕事にたどり着く

創作物に限らず、僕らのふだん行っている仕事にも同じことが当てはまるのではないかと思います。若手の中には、僕には到底思いもつかない斬新な仕事の進め方や結果の出し方をする人がいます。また、ベテラン経営者の場合は意思決定の仕方に経営哲学が反映されていて、僕にとっては学ぶところが大きい。
 どのような仕事の中にも、その人の人生が凝縮されている。極端な言い方をすれば、その人の仕事を見れば、どのような生き方をしてきたのかがわかってしまう。そう言ってよいのかもしれません。
 これは、おもしろいというよりも、ちょっと恐ろしいことでもありますね。意味のある時間を積み重ねてきた人と意味の薄い時間を積み重ねてきた人。それが仕事の違いとなって表れる。そう考えると、少しでも意味のある仕事を行い、世の中に自分の価値を提供するような働き方、生き方を心がけなければなりません。
 人生にも企業にも好不調の波がありますから、冬の時代をどのように過ごしていくのかもひとつのポイントではないかと思います。いい時代が一本調子で続くということはまずありません。老舗企業の歴史を見ると、必ずと言ってよいほど大ピンチを乗り越えている。または、長い冬の時代の間に春への備えを行ってきている。時間は流れるものではなく、積み重ねるものだということを知っているためでしょう。
 取材活動では、個人からも企業からも実にさまざまな示唆に富んだ話を伺うこととなります。やはり、深く考えさせられるのは人生の大先輩といえる人からの話。仕事や人生に対する捉え方は人によって違いはあるものの、そこには共通項のようなものがあるような気がします。
 誰よりも「なぜこの仕事なのか?」を数多く自問自答してきた人。そうした人の言葉と仕事には注目すべきものがあります。僕の解釈では、それは「見つけた」ものというよりも、「たどり着いた」という言葉のほうが近い。さまざまな取材の中でよく聴くのは「出合った(または出会った)」という言葉ですが、そこには「見つけた」と「たどり着いた」の両パターンがありますね。
 「見つけた」というタイプの人であれば、これから先に別な人生の展開も考えられるでしょうが、「たどり着いた」人の場合には、この道しかありません。自分にはこの道しかない。そう悟った人の仕事には迷いというものが感じられず、ひたすら時間の積み重ねが作品の中に込められていくこととなる。ここに僕は惹かれます。
 現実の制約から逃れることはできませんが、与えられた環境の中でできる限り意味のある仕事の仕方をする。それが僕らのなすべきことでしょう。自分たちの仕事の中には、どこかに時間の積み重ねが表現されている。そう信じることも大切ですね。

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