おはようございます。
快晴。原稿を書いているわけにはいかない。南十勝を撮影しながら釧路方面へ。恋問の道の駅がやけに混み合っていた。10連休効果か? その後、コッタロ湿原を目指すが、やはり車が多いような気がする。日没が近づいてきた。最後の撮影場所は細岡展望台と決める。カメラを持った人で賑わっていた。撮影会のようにシャッター音が鳴り響く。僕も寒さを忘れて真剣に撮る。すると、近くでこんな声が聞こえてきた。「写真はたくさん撮ったけど、まだ私、この景色を目に焼き付けていないの……」。これはとても重要な言葉だと思った。8時40分頃帰宅。ホタルイカを食べる。たぶん平成最後のホタルイカ。
撮影に夢中になると……
いい写真を撮る。そのような目標を持つと、何か大事なものを逃したり、失ってしまうことがあるものです。僕の場合、「会話」が失われることがあります。そんなときは、話しかけられても、「自動応答システム」が作動している。いい加減な返事をしてしまうことが多い。
ただ、昨夕の細岡展望台はほとんど会話不要なほど見応えのあるものでした。その場にいた半数以上の人たちは、ひたすら無言でシャッターを押していた。会話していたのは家族連れかカップルくらいかな? そんな中で「目に焼き付けていないの」という言葉が耳に飛び込んできました。確かに、撮影に熱中するとCCDイメージセンサ(昔ながらに「フィルム」というほうがわかりやすい)に焼き付けることに気をとられ、自分の網膜に焼き付けることを忘れてしまうのです。
自分がそのような状態になっているときには、あえてシャッターチャンスでも撮らないことがあります。もっとも、数秒、数10秒変わらずに待ってくれるような被写体の場合に限られますが。しっかり目に焼き付けてから、写真を撮る。このほうが撮影手順としては正しいような気がします。
同じことが旅にも当てはまりそうですね。
過密スケジュールをこなすような旅では、何か大事なものを逃したり、失ったりしているのではないかと思うのです。旅行会社としては観光スポットを効率よく案内したい、という欲求に駆られるのでしょう。どうしても、1ヵ所の滞在時間が短くなってしまう傾向にあります。
ただ、平成の30年間は、そうした旅の価値観を大きく変えた時代でもありました。団体旅行から個人旅行に変わっていったという点が大きい。レンタカーで旅する人も増えましたね。単なる観光地めぐりではない旅を楽しむ、というスタイルが定着しつつあるような気がします。
僕は夕焼けを見ながら、20数年前に旅したオーストラリアでのワンシーンを思い出していました。僕とM氏の旅行スタイルは、目的地をほとんど決めず、宿の予約もせず、思いつくままにレンタカーを走らせる……というもの。ただ、日が沈んでから宿を探すと心細くなるので、当日午後にモーテルを探すことが多かった。一度だけ空室が見つからず、困ったことがありました。そのときは、暗くなってからロッジ(バンガローだったかな?)を探し当てた。そのときくらいかな? だから、海外での宿の予約の仕方はいまだにわからない。
何もしない旅
それはさておき、20数年前のオーストラリアでのワンシーン。それは夕日がきれいだったので、丘の上に車で上ってみたのです。イメージ的には標茶の多和平展望台のようなところ。2、3組、夕景目当ての人たちがいました。そのうち、ひと組のカップル(初老の夫婦だったかも)がテーブルと折りたたみ椅子を広げ、夕焼けを見ながらワインを飲み始めたのです。それが当たり前のように光景としてなじんでいた。
たぶん地元の人だったと思います。ただ、旅人にしろ地元の人にしろ、僕らはこういう風景の楽しみ方にはさほどなじみがありません。特に僕は、「素晴らしい風景を見たら写真に撮りたい」という欲求が湧いてきます。だから、風景そのものを純粋に楽しむというのは、難度が高いことのように思えてしまう。
撮影は僕にとってもっとも優先すべき大切な時間。ただ、生産的な活動を脇に置いて、ただ何もせずに時間を過ごす。素晴らしい風景の中に自分の体をなじませる。それもまた、上質な時間の過ごし方ではないかと思います。
我が社では今年からツアー商品を売り出すようになりました。今のところは体験型の旅が多いのではないかと思います。
希望としては、僕が平成の30年間で体験することができなかった、もっとタイプの異なる旅を売り出してほしいところです。すでにそういう旅商品はあるのかな? たぶん「商品」とはなりにくい旅。「何かをする」というものではなく、「何もしない」という旅。僕らは日頃ハードな日々を送っていますから、「何もしない」というのは大きな付加価値ではないかと思うのです。素敵な場所でただただ時間を過ごす。そんな旅があってもよいでしょうね。もっとも、そうなると旅行会社は不要ということになるかもしれません。
さて、オーストラリアの丘の上でワインを飲んでいたカップルは、その後どうなったのか? 想像ですが、飲酒運転して自宅まで帰っていったことでしょう。これはオーストラリアでも許されないことのはず。代行サービスを利用すべき。ただ、通常の代行では味気ないことこの上ない。もし、素晴らしい風景に十分なじむような代行サービスがあったら、きっと人気が出ることでしょうね。
北海道の旅はまだまだクオリティを高めることが可能ではないかと思います。僕は旅=撮影という呪縛から逃れられずにいるため、旅そのものを楽しむことができないまま今に至っています。僕の旅の楽しみは、もっぱら日没後の夕食ということになってしまう。ちなみに、僕の旅のテーマは「世界中の生牡蠣を食べること」。そういえば、しばらく味わっていませんね。旅先での牡蠣。ここにもひとつの理想形があるのですが、その話はまた改めて……。