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北海道の仕事と暮らし109 昭和、平成、令和

北海道の仕事と暮らし109 昭和、平成、令和

おはようございます。
 平成最後の日。休日として過ごす。庭の梅が満開になっていた。昼は梅の花見をしながら、ウッドデッキで焼き鳥。午後は買い物へ。10時頃眠り、一夜明けたら令和になっていた。

平成になった頃

僕は昭和から平成に変わる前日のことを思い出していました。1989年1月7日。確か、そのとき僕は京都にいました。明け方まで飲んでいたような記憶がかすかに残っている。四条河原町あたりの喫茶店で、昭和天皇崩御のニュースを見たような気がします。その後、二日酔いの状態で志津屋のサンドイッチを食べていた……。僕の記憶は非常に怪しいのですが、イメージ的にはこんな感じ。翌1月8日から平成の30年間が始まることとなりました。
 M氏と(株)遊文館(設立当時は有限会社)を興したのは、平成元年7月。平成の11年間は東京で仕事をしていました。昭和時代を含めても15年間。帯広に戻ってから、すでに19年になろうとしています。今では東京出張で電車の乗り継ぎにも苦労するほど。ほぼ完全に北海道民です。
 その遊文館も、今年ようやく閉じることができました。平成とともに始まり、平成最後に終わったわけです。令和まで持ち越すことにならず、よかったというほかありません。2001年から2019年まで18年間はまったく活動していませんでしたから、僕らにとっては「失われた18年」といえるのかもしれません。
 平成最初の日、1989年1月8日、当時の竹下登首相は記者団から「平成元年の朝を迎えた気持ちはどうか」と質問され、「平静です」と答えたという。僕はその場面を見ていませんでしたが、その後の30年は激動の時代となりましたね。「平静です」という回答は、もしかしたら奥深い言葉だったのかもしれません。「平静であらねば」という意味合いが込められていたのでしょうか?
 僕のほうはというと、平成バブルがその後頂点に達しようとしていましたから、不動産を持っている人と持っていない人との間で貧富の格差が拡大すると考えていました。当時すでに、「家賃のために働いているのでは?」と思えるほど都内の家賃は高かった。郊外の別荘地なら買えるかも……と思い、山梨や群馬まで土地を探しに行ったりしていました。
 その後、栃木に魅力的と思える場所が見つかり、ほとんど衝動買い。勢いに乗ってドームハウスを建てる寸前までいきましたが、北海道拓殖銀行に融資を断られ断念。なぜ拓銀へ行ったのかは不明。普通預金口座を持っているだけだったのに。当時のメインバンクに話していたら実現していたかもしれません。そうなると、今頃相当困ったことになっていたに違いない。土地建物は衝動買いするものではありませんね。
 バブル景気は1992年頃に終わりましたが、雰囲気だけはその後も残っていて、ちょっと値段が下がった今なら変えるのではないか……という気持ちが強まっていました。そんな中、所沢に手が届く物件を発見。事務所のあった西荻窪から車で1時間ちょっとという距離。僕は「職住近接がいい」と思っている人間なのに、このときは不動産所有欲のほうが勝ってしまいました。もちろん、毎日通勤するはずはなく、ほぼ別荘状態の家。ただ、商品撮影には適したつくりでしたし、暗室も完備していましたから、写真関係の仕事をするにはよい家でしたね。

30年一区切り

個人的な話を書き連ねてしまいました。平成の30年間は僕にとっては平静ではおられなかったという話。帯広に戻ってからも平静とはいえない出来事が多く、僕にとっての成長課題が山積していました。きっと僕にとってはよいことだったはず。30代までに解決しておくべき課題を40代になってから取り組んだ……。そんな感じです。
 ソーゴー印刷も僕と同様。本当は10年前か20年前に取り組むべきだった課題を先送りにしてきたようなところがありました。問題は小さなうちに解決しておかないと、次第に大きくなっていくもの。僕にはちょっと大きすぎるなぁと思いながら、問題に取り組まねばならない状況がやってきました。しかも、そのときは東京から持ち込んだ問題もあって、二重の問題を抱えて数年間過ごすことになりました。平成時代の中盤は僕にとってもっとも平静ではいられなかった時期といえます。
 みんなそれぞれの平成があって、充実した30年を過ごしてきた人も多いに違いありません。また、平成生まれの人にとって平成とはどのような時代といえるのでしょう?
 いい時期もあれば、困難と思える時期もあるわけですが、困難な状況が悪い時期というわけではありません。10年くらいたってみると、困難な時期に自分が成長を遂げた、という事実に気づくものです。その意味では逆境は人生に不可欠なものであり、順境ばかりだったなら、充実した人生を送ることはできないような気がします。平成が終わって1日たっただけなので、平成の30年が自分にとってどうだったのか、まだわかりません。10年後には、僕にとっての意味と価値がわかるようになるのでしょうか?
 令和という元号にはまだ慣れていませんが、発表以来、一部ではすでに「令和元年度」といった具合に令和が使われています。今朝の朝刊にはついに「令和元年」の文字が印刷されていました(当たり前ではありますが)。僕は通常は西暦を使っていますが、日本の元号というものはよいものかもしれないと思うようになりました。平成の30年という長さがちょうどよかったのでしょう。今は次の30年、もっと意味ある生き方をしようという気持ちになっています。
 今日は長文の原稿に着手すべき日。もちろん、話は昭和、それも僕の知らない時代から始まります。

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