
おはようございます。
午前中はいくつか滞っている仕事を形にする。午後からは大作に着手。といっても、まだ執筆には至らない。準備作業だけでも相当時間がかかる。5時半に仕事を終える。令和最初の日。M氏とともにクナウハウスの庭に桜と梅の木を2本ずつ植える。M氏が最初からそのつもりだったのかわからないが、記念植樹ということになった。
世間を悪く見ると自分がダメになる
これから書こうとする原稿は、仕事量的にも内容的にも重いものといえます。といっても、気持ち的に重くなっているわけではありません。資料やテープ起こしのテキストを読むと、そこには金言が随所に散りばめられている。まさに、この仕事をしてきてよかった、と思えるような内容。
僕の書く文章は重くも軽くもできるのですが、おそらく求められているものはわかりやすくて重厚なものではないかと考えています。僕はどのような種類の文章であっても「わかりやすさ」を重視しています。文章の基本はわかりやすさ。その中にちょっとした「謎」が埋め込まれていることが望ましい。
ただ、これから書く原稿では、僕が謎を解きながら書き進めていかねばなりません。ところどころ難解なところがある。この謎を解くには、事実を知るだけでは不十分。その頃の情景をイメージし、そこに登場する人たちの気持ちになりきらなければならない。僕にそのようなことができるのか? こればかりはチャレンジしてみなければ何とも言えません。
昨日読み返したテキストデータの中にこんな言葉がありました。
「世間を悪く見るようなものが心に入ってしまうと、自分がダメになってしまう」
その言葉に続いて、「それがないのが高原さんで、恵まれた中で育ったから……」と妙に持ち上げられてしまっています。そのときの僕の反応は、「考えていないのだと思います」というものだったらしい。テープ起こしではそのようになっている。僕に対する褒め言葉も妙ですが、僕の反応もちょっと変だ。おそらく、肯定も否定もできず、苦しまぎれの反応をするしかなかったのでしょう。
でも、案外これが僕の本音なのかもしれないな……。そう思えてきます。というのも、僕はときどき「あえて考えない」ということがあるのです。よいことや困ったことについては、できるだけ深く考えようとする(どれほど深いかはわかりませんが)。けれども、悪いこととか、誰かの悪意といったものについては考えが深まらない。それゆえに、ちょっと危なっかしいところがあって、自社に危険が及ばないよう、用心だけはするようにしています。
世間を悪く見るようになると自分がダメになる。これはしっかり覚えておくべき言葉だと思いました。そのような出来事や要素は自分・自社のまわりにたくさんある。実際にダメになってしまった人は、周囲の人もダメにしようと行動するかもしれません。何があっても「自分は大丈夫」という状態を保っておくことが大事ですね。
ただ、「本当にダメな人はいない」という真実にも僕らは気づく必要があるわけです。僕はそのことについて説得力のある説明の仕方はできません。比較的恵まれた環境の中で働いていると思っているからです。過酷な環境の中でも「ダメな人はいない」と言い切れるかどうか? そう言える人は本当に強い人なのだと思います。
お互いを高め合う組織をつくる
世間を悪く見るようなものを心に入れない。といっても、100%完璧に……というわけにはいかないでしょう。少しは自分の心に中に混じってくる。ただ、定期的にそうしたマイナスの不純物のようなものを取り除くことができるかどうか? ここが重要ではないかと思います。
僕の場合は、写真を撮り続けていることで救われている面があるようです。写真、とりわけ風景撮影にはそうした効用がある。社内のみんなも、一人ひとり自分の心を取り戻すような活動をしているのではないでしょうか? それは趣味であってもよいし、仕事の中に見いだしている人もいるでしょう。
たとえば、取材という仕事の中には、劇的なまでに自分の心をプラスに変えてくれることがあるものです。世間にこんないい人がいるとは……と思うこともある。また、自分には気づかないような別な視点、別な考え方を示してくれる人もいます。営業職の人であれば、お客様から教えられるという機会も多いことでしょう。
マイナスの影響を受けることもあれば、プラスの影響を受けることもある。健全な人であれば、そのようにしてバランスが保たれる。ただ、周囲からの影響によってグラグラしているようであっては、主体的に生きているとは言えない。常にプラスのゾーンの中にいるという状態を保つには、強い意志を持つ必要があるのではないかと思います。
人間、なかなか強くはなれないものですが、意志を強く持つことは可能なはず。意志を強固なものとするためには、同志を見つける(または求める)ことも大切でしょう。僕の考える会社とは、同志の集まりなんですね。入社のきっかけは経済的理由だったかもしれませんが、次第に同志として目覚めることが望ましい。誰しも志を持って、自分の人生を主体的に生きていきたいと願っているはず。
しかし、それを妨げるような出来事が多いというのも事実。世間を悪く見るようなものを心に入れないためには、仲間の支えが必要ではないかと思います。絶対安心空間をつくることで、多少のことにはグラつかない自分を保つ。僕の考える会社組織の理想形は、同志関係による絶対安心空間といえます。もちろん、人に甘い組織という意味ではありません。ビジョン実現に向けて厳しさも必要。要は「お互いを高め合う」という点で絶対的に安心できる人間関係を築くということです。
我が社はまだ道半ばといえますが、そのような会社づくりを目指しています。