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北海道の仕事と暮らし111 残すべきもの

北海道の仕事と暮らし111 残すべきもの

おはようございます。
 昨日も原稿執筆。ゴールが果てしなく遠く感じられる。気分転換に部屋を片付けてみる。思い切って「とっておきたいが使わないもの」を捨てる。サイド机にスペースができたため、ノートPCの作業場所を変更。ずいぶん快適になった。だが、原稿のスピードは相変わらず。謎を解明しながら少しずつ進んでいくしかないようだ。5時半、買い物へ。

重大な発見

実は部屋の片付けをしている際、すごい発見がありました。
 サイド机に立てかけてあった古い手帳に目が留まったのです。実家の片付けをしていた際、持ち帰ったもの。僕は表紙カバーの色と全体の大きさから、ずっと母のものだと思い込んでいました。中身を確かめることもせず、数年間放置していたのです。ほとんど、その存在すら忘れたまま、書類の間に挟まって立てかけてありました。
 僕にはずっと気になっている言葉がありました。それは生前、母が僕に話したこと。そのシチュエーションは今でも鮮明に覚えています。ここでは詳細を書くことはできないのですが、「お父さんの手帳に○○○と書いてあった」というような話でした。「○○○」は全部で20文字くらい。特に謎めいた言葉というわけではありません。けれども、僕には感じるものがあって、ずっと現物を見てみたいと思っていました。結局、母はそれから間もなく他界。謎のまま残されることとなったのです。
 それが実にあっけなくというか、突然目の前に現れたのです。というよりも、僕の早とちりのためにずっとページを開くこともなく、自宅の書斎に置きっぱなしになっていた。まあ、ある意味僕らしくもあるのですが、驚きましたね。
 何気なくページを開くと、ゴルフのスケジュールが記されているのです。その部分はやけにしっかりとした筆跡。一方、カレンダーの後ろに続いているノートの部分に、鉛筆でかろうじて読める程度の弱々しい文字が見える。
 僕が母から聞いていた「○○○」は、きっと力強い筆致で書かれているはず……。そう思い込んでいましたから、最初は見落としていました。ただ、考えてみると癌の末期ですから、力強いはずはない。改めて、丹念に読んでいくと、例の「○○○」が出てきたのです。
 僕は感動してしばらくの間、立ちすくんでいました。17年前、父の死の数日前に書かれた文字。そして、10年近く前に母を通じて伝えられたメッセージ。これはどういうことなのでしょう?
 今書いている原稿が大昔の話であるため、埋もれていた過去が僕の発見できるところにまで引き寄せられてきたのかもしれません。あるいは、時代が平成から令和に変わり、「このあたりで一区切りをつけなさい」という天からメッセージなのだろうか? 僕には何ともいえないわけですが、この10連休で僕にとって最大のプレゼントとなりました。
 不思議なものです。僕は「○○○」の言葉にずっと縛られてきたところがあって、どうにか現物を見ることはできないものだろうか……とずっと思い続けてきたのです。言葉そのものは何の変哲もないもの。けれども、他人には気づかないようなちょっとした謎が埋め込まれている。母もそのことに気づいたからこそ、僕に伝えたのでしょう。

「記録する」という使命

前半は個人的な話になってしまいました。
 ただ、改めて思ったのは、伝えたいと思うメッセージには、面と向かって話すべきものと文字に残すべきものの2種類あるのではないか、ということでした。昨日の手帳では、文字に書かれていたからこそ発見することができた。紙に書く、文字として残す。これは自分のためと言うよりも、次の世代のために欠かせない活動と言ってよいでしょう。
 メッセージを残す方法には、今の時代、さまざまあるわけですから、必ずしも文字とは限りません。ただ、メッセージの中に謎を埋め込むには、文字、とりわけ手書きの文字が有効に違いない。記号としての文字というだけでなく、筆致や筆圧からも何かが伝わってくるものです。昨日は、その筆圧の弱さから、最後の力で懸命にメッセージを書き記した父の姿を思い浮かべることができました。
 考えてみると、僕らの仕事の多くは、誰かが伝えたいと思っているメッセージを聞き取って、それをわかりやすい形にして世の中に伝えることといえます。「特定の人に伝えたい」という場合には自分史といった形態になることが多い。編集者が「広く世の中に知らせたい」と考えた場合には、取材記事という形で誌面に掲載されることになるでしょう。
 冊子に限らず、我が社にはメッセージを伝えるためのツールが、商品として豊富に用意されています。記録という点でいえば、今のところ電子媒体よりも紙媒体のほうが信頼度は高いといえそうです。ただし、紙媒体をPDFにするのは非常に簡単。作り方によっては、電子書籍を作るのも難しくはありません。できれば、紙と電子媒体の両方で記録するというのが確実な方法です。
 デジタル化が進んだおかげで、記録を残すこと自体、難度は低くなってきています。問題は「何を残すか」ですね。
 父の手帳の最終ページには、サミュエル・ウルマンの詩「青春」を縮小コピーしたものが貼り付けられていました。僕らの親世代の企業経営者にはウルマンの「青春」が心に響くようです。かくいう僕も、この詩の意味するところが次第にわかってくるような年代に差し掛かってきました。こんなふうに書くと、父からは「おまえに何がわかるというのだ」と笑われそうな気もしますね。
 理想に燃えて仕事をするという姿勢に年齢は関係ない。掲げる理想そのものは、20代の頃と今とではずいぶん違ったものになっています。もう20年もすれば、さらに違ったものとなるでしょう。それでも、自分が燃え尽きる瞬間まで理想を持ち続けることができるかどうか? その理想を次世代に託すことができるかどうか? 残すべきものを記録する。ここに我が社の重大な使命があると感じています。

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