
おはようございます。
朝7時、次世代幹部養成塾第15講。旅や地域おこしをテーマとする本を題材に行われた。講師は当社の旅行業部門であるSTHに一任。他部署の人にとってもインスピレーションが得られる発表内容だった。その後、10時頃まで社内で仕事をする。10時半から昼までは自宅で企画書づくりと入社試験の準備。午後1時、入社試験と面接。正式には5月14日実施予定なのだが、この日都合がつかなかった1名のみ、先行して行うこととなった。3時半、役員会。4時、某プロジェクトの打ち合わせ。4時半、幹部会議。
プロダクトアウトになっていないか?
昨日は「旅」について考える日となりました。
ふと気づくと、帯広にUターンしてからは旅と地域おこしをほぼ同列に考えている自分がいますね。地元を訪れる人が増える→地域経済にとってプラスになる。そんな考え。経済面だけではなく、文化面でもメリットは大きい。地域の魅力を掘り起こすことにもつながっていく。
21世紀に入った頃から旅のスタイルはずいぶん変わってきました。よく言われるように、団体旅行ではなく個人旅行が多くなりましたし、観光地を周遊する旅から、テーマ性のある旅へとシフトしていっています。もちろん、従来型の旅にも需要はあるはずですから、要は多様化してきたということでしょう。
いずれにせよ、人気観光スポットという「点」で観光客を集める時代は終わりつつあるのではないか、と思います。それよりも「面」が重要で、地域全体の魅力度が問われるようになってきています。その意味では、十勝は将来性十分な地域といえます。目立った観光スポットは少ないが、地域全体に魅力と活力があります。
我が社の中で旅行事業に関われば関わるほど、自分の中でちょっと危ういな……と感じていることがあります。それは何かというと、旅人の視点を失いそうになる自分がいること。旅行事業者としての自分が強くなりすぎると、「純粋に旅を楽しみたい自分」が隅へ追いやられることになってしまいます。マーケティング用語で言えば、発想がプロダクトアウトになるということですね。ここは気をつけねばなりません。
旅人としての自分は、本当のところ何を求めているのか? 「モノからコトへ」と言われますが、僕の場合は「自分を高めてくれる何か」を求めているような気がします。自分を高めてくれるのであれば、モノでもコトでもいい。僕はそんなふうに考えていますが、多くの旅行者は何を期待して旅に出るのでしょう?
僕の旅のスタイルも20代の頃からずいぶん変わりました。学生の頃はひたすらひとり旅。ひとりだと気ままな旅ができますから、僕にとっては旅らしい旅となる。ただ、こうした旅ができたのは学生の頃くらいかな? あとは、1988年、急に思い立って1ヵ月弱滞在したソウル。ここではひとり旅らしい活動をしていました。僕にとって「ひとり旅らしい活動」とは、あえて計画を持たずに偶然に身を任せるようなような旅のこと。計画はないが、テーマは明確に持っている。そんな旅の仕方が僕にとってはひとつの理想形です。
旅遍歴から明らかになったこと
社会人になってからは2人旅が増えました。計画らしい計画を持たないという点では、大きな変化はなかったともいえます。自由度は減ったが、孤独感も減った。求道的な時間は減ったが、共通体験を楽しむ時間は増えた。
その後、会社を立ち上げてからは、年2回程度、4~6人で社員旅行をするようになりました。海外の場合はレンタカー1台か2台。これも宿を予約することは少なく、気の向いた場所にモーテルを見つけるという旅行の仕方。宿が見つからないまま夕方を迎えると、ちょっと焦りますが、過去に泊まれなかったということはありません。この頃は、地元のスーパーで食材を購入し、モーテルのキッチンで料理をつくって食べることが多かった。レストランやバーへ行くこともありましたが、自分たちで作って食べるほうが楽しく感じられました。
帯広にUターンしてからは、純粋な意味での旅行はほぼしなくなりました。その代わり、回数は大幅に増加。大半は取材旅行です。道内での旅行ということになります。これはこれで楽しいもの。ただ、自由度は激減しましたね。スケジュールの決まっている旅。僕はスケジュールを組むのは苦手。編集者が綿密に計画してくれる点はありがたい。編集者の人たちはこうした旅をどのように捉えているのか? 取材という仕事のための「出張」と捉えるか、仕事を含んだ自分を高めるための「旅」と捉えるか? 後者のような考え方を持つことができれば、この仕事を天職のように感じることでしょう。
こんなふうに自分の旅遍歴を振り返ってみると、2つのタイプの旅行商品が必要ではないかという結論に至りました。あくまでも僕の中での結論なので、それが我が社の旅行商品に反映される可能性は低いような気がします。
ひとつには「編集者主導による旅行プラン」というものが必要でしょう。「スロウな旅」はここが出発点ですから、やはり外すことはできません。ただ、旅人としての僕が求めているものは、もう少し別なところにあります。
適度に孤独感を味わうことができ、それでいて各自の体験を共有できるような旅。今思いついただけなので、もっと考えてみなければなりませんが……。
1988年春、ソウルで僕が経験した旅は、今もインスピレーションの源となっています。ずっとソウル市内の安宿(一泊800円くらいだった)に滞在し、そこには「住み着いているのではないか?」と思うような旅人もいました。宿の真ん中に7、8人集まれるような場所があって、そこでいろいろな国の人が情報交換していた。全員ひとり旅。僕は1/3くらいしか聞き取れませんでしたが、自分の体験を伝え合っていました。たまに、仲よくなって一緒にどこかへ出かけることもありました。
こうしたフラフラした孤独な旅ができるのは20代の特権でしょうか? ただ、これに近い要素を含んだ、もう少し洗練された旅があってもよさそうです。洗練度とテーマ性があり、それでいて自由度の高い旅。何かできそうな気がしますね。